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『荒野の決闘』(My Darling Clementine)['46] 『テキサス』(Texas Across the River)['66] | |||||
監督 ジョン・フォード 監督 マイケル・ゴードン | |||||
三十六年前に『荒野の決闘/いとしのクレメンタイン』というタイトルでのリバイバル上映をRKCホールで観て以来の再見だ。物語や人物造形的には、十一年後のジョン・スタージェス監督による『OK牧場の決斗』['57]のほうが面白いように感じられるけれども、画面の魅力や♪雪よ岩よ我らが宿り♪の雪山讃歌でも馴染みのある主題曲♪いとしのクレメンタイン♪の魅力が、先ごろ観たばかりの『慕情』や『愛情物語』のように、本作を名作としている気がする。 ドク・ホリディ(ヴィクター・マチュア)が元歯科医ではなく、外科医だったことには覚えがなかったが、シェークスピアを諳んじる教養人である造形が少々あざとくも洒落ていたように思う。ボストンからドクを探し訪ねてきたクレメンタイン(キャシー・ダウンズ)も、ドクの情婦である酒場の歌手チワワ(リンダ・ダーネル)も、美しく見映えがよかったが、『OK牧場の決斗』でのワイアット(バート・ランカスター)が惹かれる女賭博師ローラ(ロンダ・フレミング)や、ドク(カーク・ダグラス)の情婦ケイト(ジョー・ヴァン・フリート)の人物造形のほうが味があったような気がする。 その一方で、ならず者の博奕打ちを教養人として描いたり、クレメンタインに学校教師の道を選ばせたりしていることが、『大いなる西部』['58]の一見したところ野卑に見えるルーファスや、学校教師ジュリーの人物造形に影響を及ぼしているようにも感じた。 ところで、先ごろマイケル・ゴードン監督による『テキサス』['66]を観たときに、合衆国からはテキサスがまだ外国だった時分の設定という西部劇を初めて観たように思い、地面を掘れば噴き出す石油が黒い毒水として疎まれていた時代があったことを観るのは、妙に新鮮な気がして面白かった。それとともに、旧作だと字幕ではまだインディアンという訳語をNHKでも使うのだと意表を突かれつつ、このコマンチ族の酋長父子のおバカ描出は、いくら喜劇とはいえ、少々やり過ぎで、アメリカでは、本作は封印されているんじゃないかとも思った。そのことからすれば、本作では、酔って暴れるインディアンに対して、“先住民”という訳語を充てていたのが目を惹く。 だが、ワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)の台詞として「先住民」と聞くと、妙に馴染まないところがあるような気がして仕方がなかった。『テキサス』では「インディアン」で、『荒野の決闘』だと「先住民」になるのは、どうした違いによるものなのだろう。何やら変な気がした。映画の著名度の違いなのだろうか。 | |||||
by ヤマ '20.11. 8. BSプレミアム録画 | |||||
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