『透明人間』(The Invisible Man)
監督・脚本 リー・ワネル

 二十年前に観た、原題が「Hollow Man」で「Invisible Man」ではなかった『インビジブル』['00]よりもこちらのほうが、もっと虚ろな「Hollow Man」だったように思う。だが、エイドリアン(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)の人物像については、客観描写がほとんどないまま、ひたすらセシリア(エリザベス・モス)の語りでしか描かれなかったところに、作り手の手の込んだ意図が潜んでそうで、妙に危ういものがあったような気がする。

 インビジブル・スーツのなかにエイドリアンの兄トム(マイケル・ドーマン)が入ったのがいつの時点なのかが鍵になるように思われるのだが、作り手は当然ながら、謎のままにしてあった。動機的に考えれば、エイドリアンのセシリアに対するストーカー的執着よりも、トムのほうが合理性が高いような気がする。兄の偽装死を果たしても、配偶者たるセシリアが存在している限り、その遺産の取り分は、彼女のほうが上位になるから、相続権を奪おうと画策することが理に適っているからだ。

 加えて、最後の晩餐の席でエイドリアンが反省と謝罪の弁を示して懐柔しようとしていたことは、セシリアの語るエイドリアン像からすれば、あり得ない話で、その変化が、待望していた妊娠のもたらした取り繕いだとしても、セシリアの語っていたような彼の異常性格からすれば、何故そのようなことをする必要があるのかとの疑念が残る。もしかすると、本当に彼は兄の策謀による被害者で、セシリアとの関係については、彼女に虐待と受け取られる不埒を犯していた面があって、彼女を怯えさせていたにしても、彼女が逃走後のストーキングには関与していない可能性も、なくはない気がした。

 セシリアの妹エミリー(ハリエット・ダイアー)ほかを殺害したのがトムであれば、エイドリアンの罪状は同居生活のなかで束縛とモラルハラスメントによってセシリアを怯えさせ、逃げ出させてしまったことのみになってしまう。このことに関しては、セシリアが手にしていた薬物がもう一つの鍵になるように思うのだが、それについても巧妙に暈かされ、何とも思わせぶりな小道具として配されていた気がする。というような次第だったから、単純に解決カタルシスが得られず、なかなかサスペンスフルな観後感が残ったように思う。インビジブル・スーツを覗かせたバッグを手にしたセシリアと、エイドリアンの首切り死のモニター画像の二つを観たと思しきジェームズ刑事(オルディス・ホッジ)の妙に割り切れなさそうな表情のエンディングが印象深かった。

 インビジブル・スーツを覗かせたバッグは、観客に見せただけで刑事は観ていないとするか否かで、ジェームズの表情の受け止め方は異なってきそうに思うが、僕はバッグの中身という歴然とした物証を目の当たりにして、トムと同じく今度はセシリアが犯行に及んだことを知った驚きと、刑事でありながら観逃してしまう苦渋を示していたように受け取った。だがもしそうなら、同じようなエンディングを迎えていたブレイブ ワン』の日誌エリカの選択は容認できないが、マーサーの選択は支持するというのが僕の思いだった。「それって逆じゃない?」と言われそうにも思うのだが、僕としては逆はあり得ないと記したことに準えると「セシリアの選択は思いに囚われていたのだからある意味仕方がないが、ジェームズ刑事の選択は支持できないというのが僕の思いだった。「それって逆じゃない?」と言われそうにも思うのだが、僕としては逆はあり得ない」というのが僕の思いだ。

 セシリアが恐怖に心底から囚われているのは間違いのないことだが、だからと言って、エイドリアンの犯行であることが確定していないままの「彼の他には考えられない」との彼女の思い込みによって私的制裁が許容されるべきではないし、時折インビジブルスーツが姿を現す損傷状態で透明人間に襲われた実体験を踏んでいるジェームズ刑事がバッグの物証を認めたのなら、モニターに映っていた不自然な態勢でのエイドリアンの自死に見える画像は、インビジブル・スーツを着たセシリアの犯行であることが推測できるのだから、刑事として観逃すことに『ブレイブ ワン』でのマーサー刑事のような意図がなければ、ただの犯人見逃しになってしまうからだ。

 だが、少なからぬ人が「セシリアの選択もジェームズ刑事の選択も容認できる」ものとして観るのではないかという気がした。まさにセシリアの弁が真相だと受け取られるように運んでいたからだ。けれども僕は、ちょうど二十年前に観た『カノン』['98]のギャスパー・ノエの罠に通じるようなものを本作に感じたのだった。ノエの「ATTENTION!」に相当するのがジェームズ刑事の割り切れなさそうな表情のような気がする。カノン』の映画日誌にも記したように「サインだと観たものの、果たして…。」ではあるのだが。
by ヤマ

'20. 7.19. TOHOシネマズ9



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