『未来惑星ザルドス』(ZARDOZ)['74]
監督・脚本 ジョン・ブアマン

 公開時に観たきりの約半世紀ぶりの再見は、先ごろオズの魔法使['39]を観て、先輩映友からの宿題になったままだったことを思い出したからだ。ZARDOZが“The Wonderful Wizard of Oz”から取られたものであるというのは、最後に明かされたことだったように記憶していたが、早々と半ば過ぎに明かされていて驚いた。

 人々を支配するうえで必要なものが宗教と武器による分断であることを示したオープニング・イメージの強烈さは、半世紀近くを経て、本作の設定した近未来2293年が近づく今むしろ顕著に感じられるようになっているとともに、往年の猿の惑星['68]ほどではないにしても、近未来のなかに退行イメージが付きまとうことの現実感は、公開当時よりもむしろ今のほうが得心できるように感じられた。

 それは、反知性主義が蔓延するようになった21世紀の現在のほうが、前世紀よりも人知が退行しているように日々実感しているからなのか、本作の後、'80年代に訪れたいわゆるレトロフューチャー・ブームや『ブレードランナー』['82]、『1984』['84]、未来世紀ブラジル['85]、『天空の城ラピュタ』['86]といった作品群によって、映画として頻繁に目にしてきたからか定かではないが、それらに先駆けるものとして本作がカルト的人気を得るのも判らぬではないだけのイメージの奔流があるような気はした。

 だが、お話としては、SF色よりも妄想系に近くて人物造形の訳の分からなさに少々閉口した。“選ばれし”との獣人であるゼッド(ショーン・コネリー)はまだしも、刑罰として与えられる老いを除き基本的に不老不死を得た支配者層の人々は、ゼッドを発見し彼に興味を抱いたメイ(セーラ・ケステルマン)にしても、彼を疎んじていたのに籠絡されたコンスエラ(シャーロット・ランプリング)にしても、どういう立ち位置なのか不得要領だった、名前からして意味深長なフレンド(ジョン・アルダートン)にしても、場面場面での反応の意味するところは解せても、うまく人物像を結べなかった。

 また、不老不死を得た支配者層がそのことによって生に倦み、“生ける屍”になっていたり、より高度な生を求めて“不死からの解放”を願ったりする皮肉が物語としてうまく機能していたとは思えず、作り手のなかにある様々な関心についての概念提起に終わっていたような気がするけれども、ある種の閉塞感は、的確に描出されていたようにも思う。それにしても、このようなトンデモ系の映画に、よくぞショーン・コネリーやシャーロット・ランプリングが露出も厭わずに出たものだと大いに感心した。
by ヤマ

'20. 6. 7. DVD観賞



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