『未来世紀ブラジル』(Bragil)
監督 テリー・ギリアム


 この一年の間に観たSF的未来映画に、奇妙な共通点がある。それは、描かれるSF的未来が、現代から見た未来というよりも、過去のある時点から見た未来として、映像化されている点である。従って、現代から見るとSF的未来として映る部分とむしろ過去のものとして映る部分とが混在していて、奇妙な時代感覚に誘われる。『1984』でも『天空の城ラピュタ』でも感じたそのことが、この作品でも同じ様にあった。状況としてはSF的未来であるのに、機械や装置はひどく古くさい型式なのである。洋画と邦画とに共通して現われているところが興味深い。世界に共通する、世紀末的レトロ趣味とも見受けられるし、また一方では、現代のSF世界の抱えている悩みの反映のような気もする。つまり、かつては夢のような機械や装置が、未来状況を象徴するものとして説得力を持ち得たのが、今やどんな機械や装置でもかつて施されたような未来的なデザインで視覚化すると、却って現代と同時代性を持つものになってしまうのである。そうなってしまうと、SF的世界ゆえに持つ説得力が失われるということによるのではなかろうか。また、そういうレトロ趣味を窺わせる形で未来世界を描くことは、未来を拒む姿勢を自ずから示していることにもなる。

 同じイギリス作品であるからか、この作品は、『1984』をかなり意識しているように見えるのだが、『1984』が、原作ものゆえのテーマ主義に妙に捉われて、重苦しく暗い後味の悪さが残っただけに終ったのに比べると、この作品は、さすが『モンティ・パイソン』のシリーズの制作に関わっていた監督だけに、テンポの良さと随所に出てくる痛烈なギャグ、また、次に何が飛び出して来るやら知れないアイデアの奔放さとが上手く絡みあって、なかなか面白い。役人のすることのいい加減さやら硬直ぶりは、いたるところでスピーディーなギャグで語られ、美容とグルメはグロテスクに笑い飛ばされる。サムの夢のなかではSFXも楽しませてくれるし、なぜか侍の鎧冑が出てきたり、疾風のように現われて疾風のように去っていく忍者みたいな修繕屋であるテロリストのタトルは、御丁寧にも空蝉の術も使ってくれる。アクション・シーンにも事欠かないし、パイプやホースが生き物のように蠢き、鼓動を打つところは、『ビデオドローム』を連想したりもする。実に盛沢山でありながら破綻していない。この面白さを前にして、情報社会の怖さ、管理社会の非人間性とかを今更あれこれ言ってみても仕様がない。そんなことは、ラスト・シーンの救いのなさで言い尽されている。

 主人公サムを演じるジョナサン・プライスは、とぼけた味があってなかなか良い。ジルを演じるキム・グライストは、時折アングルによって『誰が為に鐘は鳴る』のバーグマンを偲ばせる女優で、(そういえば、情報記録局のヒラ役人たちが仕事をさぼって興じる古い映画のなかにカサブランカの名も挙がっていたような気がする。)ロバート・デ・ニーロは、相変らずの曲者振りである。また、整形外科医とかレストランのボーイとかシャーリーといった端役にも個性的な怪優が揃っていて楽しい。

 それにしても、この悪夢のような未来へと確実に歩んでいる現在、映画の冒頭で、イヴの晩に子供たちに読んでやっていたクリスマス・キャロルのスクルージのように、人類が改心する日は来るのであろうか。
by ヤマ

'87. 1.21. 名画座



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