『青春の蹉跌』['74]
監督 神代辰巳

 石川達三の原作小説は文庫本が書棚に二冊並んでいるのだが、四十年近く前、二十四歳で結婚した時に二学年下の妻が持参した本のなかに同じ装丁の新潮文庫があったからだ。だから、原作小説を既読なのは承知していたが、映画化作品のほうは記録にも残っていないし、未見だと思っていた。ところが、観始めて早々の「エンヤートットー…」との江藤賢一郎(萩原健一)に、これは見覚えのある映画だったとたちどころに蘇ってきた。この「エンヤートットー」の反復が実に鬱陶しくて、何とも気に入らない映画だったことを思い出した。

 先ごろ観たばかりの愛がなんだのマモちゃんと似たような流され男ながら、マモちゃんと違って、まるで優しくなくて姑息な賢一郎にうんざりしつつ、決定的な違いは受容感のような気がした。優しさを醸し出す受容感をまるで欠いていたように思われる賢一郎は、誰も受容していないばかりか、自身さえも受容していないように見受けられた。繰り返される「エンヤートットー」の投げやり感は、今回の再見でも些か鬱陶しかったものの、賢一郎にとっては自己逃避のために必要な“念仏”だったような気がした。そして、なぜこのような人物を高校時分は学生運動の先頭に立って活躍していた青年だという設定にしているのだろうと疑念を覚えた途端に気づいたことがあった。

 もしかすると、脚本を書いた長谷川和彦は、江藤賢一郎の“青春の蹉跌”ではなく、シラケの時代と呼ばれるに至った'70年代に、ある種の総括として、学生運動という時代的ムーヴメントの蹉跌を描こうとしたのかもしれないということだ。賢一郎が大橋登美子(桃井かおり)の挑発に乗せられ、溺れ込んでいく姿こそ、当時の学生運動家の少なからぬ人々の有り体だったと描いている気がした。

 家庭教師の賢一郎をブラジャー姿で待ち構え、「じゃあ、やろうか」との賢一郎の声に、艶然と「なにを?」と微笑み、「勉強だよ、勉強…」といなされていた登美子が、短大合格記念の友人たちとのスキー旅行に「自分だけ独りでは行けない」と同行を求め、友人たちは皆病気になったと二人きりの泊旅行に仕立て上げて、浴衣の胸を開いて決然と向かってきては、ひとたまりもないのは無理からぬ話だ。学生運動に浮かされた人々にとってのマルクスや革命は、確かに登美子の胸のようなものだったのかもしれない。いまの映画のスタイルからすれば、過剰に過ぎるほど濡れ場が頻出するのだが、それこそまさに、学生たちがゲバ棒片手にやってやってやりまくっていた状況を写し取ったものであるかのように見えて、何とも言えない微苦笑が湧いてきた。

 賢一郎に深い思慮や未来への展望があって登美子を抱いているわけではないことが、あまりにも明白な描き方のなかに投影されていた学生運動の顛末には、確かに'74年当時には、本作で賢一郎が辿った顛末と重なるところがあった気がする。後年、若松孝二が撮った実録・連合赤軍 あさま山荘への道程<みち>の あさま山荘事件が起こったのは、本作の二年前となる'72年だ。雪の山中での登美子殺害すらも計画的に確信的に臨んだものではないような描かれ方をしていた賢一郎の蹉跌は、当初の目論見とは懸け離れた惨事を招くに至った事件と重なる部分があるような気がしてならなかった。

 犯行が露見し、刑事たちが迫ってきたなかでのアメフトの試合中に、無理な体勢でのタックルを受けて限りなく事故に近い形で、賢一郎が頸椎を骨折したような鈍い音を立てて終えた本作は、だからこそ、僕的には、単なる負傷ではなく確実に死を意味していると思わずにいられなかったが、今宵の観賞者の間では、あれで賢一郎が死んだと観るのは少数派だったように思う。社長令嬢の康子を演じた檀ふみにも賛否が分かれたが、僕は似合っていた気がする。少なくとも、登美子との対照という点では、非常に明快な配役だと思う。

 それにしても、無理からぬ面もあるとはいえ、ほとんど同情の余地のない賢一郎だったが、一途な高校生の振りをしたまま、気恥ずかしげに「ねぇ、近ごろ…“女の悦び”っていうの? そんなのがね…」などと賢一郎の耳元で囁く登美子に翻弄された形であっけない死を迎える秀才アメフトプレイヤーを描いた作り手には、学生運動指導部に対する屈託が、かなり色濃い形で窺えたように思う。本作において、唯独り歴然たる嫌な人物として描かれていたように思う司法試験三浪の妻子持ち元中央執行委員の小野(森本レオ)の造形もあって、尚更にそのように思った。

 上映前に主催者の牧師から、原作者の石川達三は映画化作品に腹を立てたそうです、との話があったが、然もあらんという気がした。映画の作り手たちは、原作小説の描いた“賢一郎の蹉跌”を映画化することよりも、同作を借りて“学生運動の蹉跌”を描こうとしているのだから、もはや原作小説の映画化じゃないということなのだろう。だが、それゆえに映画作品としては、とても興味深いものになっているという気がする。

 四十年前に読んだきりだった原作小説を確認してみると、ある種、理想を掲げて現実を変えようとする意思を持つ左翼学生に対して距離を置く“現実主義者”として造形されていた賢一郎を“転向者”ないしは“逃避者”に改変していた。これにはやはり大きな意味があるだろうし、現役司法試験合格者としては同じでも、アメフトプレイヤーでもなければ、死亡もしていなかった。事件現場も雪の山中などではなかった。映画化作品の雪山での滑落は、あさま山荘事件を想起させるだけでなく、序盤の雪山での遭難男女の死体目撃と呼応する形で、視覚的にも印象深い映画的な表現になっていたように思う。

 そして、“学生運動の蹉跌”ではない“賢一郎の蹉跌”のほうについて僕が思ったのは、賢一郎の蹉跌は、彼が登美子に乗せられたことでも、大学に入って政治闘争を避けるようになったことでも、高校時分に先導していたことでもなく、一に掛かって登美子を殺してしまった事実だということだ。それは、子どもの血液型がAB型ではなくてA型もしくはO型だったところで、蹉跌自体に変わりはないことだと思う。

 さらに言うならば、原作小説とは違って二度しか賢一郎と交わっていないわけではなさそうだった登美子が、相手が賢一郎であれ、小説の寺坂のような男であれ、父親の目を盗んで臆面もなく住家で浮気を重ねているような継母(中島葵)と暮らす耐え難さから抜け出るために己が肉体と媚態を駆使して新たな地平を切り拓こうとすることが、頭脳と才覚に恵まれた貧しき男が資産家令嬢との結婚を望まれる運びに向かおうとすることと、どれほどの違いがあるかと言えば、大差ないわけで、少なくとも賢一郎は被害者などではなく、“躓きし者”に過ぎない。むしろ自己逃避の舟を漕いでいた賢一郎よりも、登美子のほうが遥かに切実で必死の船出だったのかもしれないことを思うと、登美子を悪し様にあげつらうのも酷に過ぎるような気がした。愚かさにおいても、賢一郎と登美子は、五分五分のイーヴンだったように思えるところが、“学生運動の蹉跌”の観点からも、より皮肉の利いた顛末になっていたと言えるのではなかろうか。
by ヤマ

'19. 7.26. 高知伊勢崎キリスト教会



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