『トイ・ストーリー4』(Toy Story 4)
監督 ジョシュ・クーリー

 アメリカでも屑扱いされて自分はゴミだと思わされている人々が少なからずいることをフォーキーのキャラクターによって示しているように感じて、図らずも、日本は本当にアメリカングローバリズムの強欲資本主義に染められている国なのだと改めて思わないではいられなかった。地元に住む小学一年の孫息子と一緒に吹替え版で観たことから、画面に日本語文字が映し出されていて尚更にその感を強くした面もあるが、居場所を失い、捨てられた玩具の悲哀が色濃く差すなかでの応援歌に、ちょっと複雑な気持ちが湧いた。

 十年程前になる前作『トイ・ストーリー3』はヘゲモニーを扱った作品だったし、子供よりも大人のほうが身につまされる部分の多いシリーズ作品のような気がする。実写映画のように生々しくはないので、こういう形で示されるほうが観易いという人もいることだろう。

 戸田恵子の吹替えがよかったせいもあるが、ボー・ピープのキャラクターが魅力的だった。ウッディ【声:唐沢寿明】が新たなる生きる場を見い出せたことを素直に喜んでやりたいけれども、バズ【声:所ジョージ】たちとも別れ、シリーズ作は今後、どうなるのだろう。

 ともあれ僕は、前作の観賞メモに記してあった創造力の見事さにはほとほと感心。 物語においても、キャラクターにおいても、画や動きにおいても、作り手が“作ること”“遊ぶこと”の楽しさを本当に知悉していて、まさに活き活きと楽しんでいる製作現場が伝わってきて、それが何とも嬉しく羨ましく感じられる点を『トイ・ストーリー』シリーズの核心部分として好んでいる。

 だが、前作の観賞メモにロッツォに安易な改心を与えないところが立派で、しかも処刑などせず、少々厳しい“役立ちの場”を与えているところが見事だ。「仕返しする値打ちもない」という台詞でウッディが制止する場面があったように思うが、復讐や制裁を明確に拒んだうえで、因果応報が処刑という形ではなく訪れる顛末は、ある意味、『ラブリー・ボーン』以上の志を備えているように感じた。と記しつつも、こちらのほうに寄って来過ぎると「“作ること”“遊ぶこと”の楽しさ」というトイ・ストーリーの核心部分が減退してくる懸念もあった。本作は、その出来映えは相変わらず御見事ながらも、その懸念が当たってしまっているところがあるような気がする。
by ヤマ

'19. 7.23. TOHOシネマズ6



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