『ナディアの誓い-On Her Shoulders』(On Her Shoulders)['18]
『女を修理する男』
 (The Man Who Mends Women: The Wrath of Hippocrates)['15]
監督 アレクサンドリア・ボンバッハ
監督 ティエリー・ミシェル

 上映会チラシの見出しに「戦争と性暴力に挑む、ふたりのノーベル平和賞受賞者の闘い。」と記された2018年の受賞者二人の足跡を追ったドキュメンタリー映画を二日に渡って観て来た。先に観たのが、受賞と同年の映画となる『ナディアの誓い-On Her Shoulders』だ。2014年に21歳で拘束されて2年間IS(イスラム国)に虐待されたなか、性奴隷として3ヶ月扱われたのち逃げ延びたヤジディ教徒のナディア・ムラドが証言活動を重ねている姿を映し出していた。ノーベル賞を受賞する前のニューヨーク国連本部での総会の開会スピーチに至るまでの活動を捉えた映画だったのだが、原題が示しているように、50万人のヤジディ教徒の希望をわずか23歳で一身に背負っている姿に圧倒された。

 彼女に最も近い位置にいて個人的にも深くコミットし合っている様子の通訳ムラド・イスマエルが証言していたように、その肩の荷の重さに耐えかねている部分もあるということが尤もなように思った。言うところの、ある種、身に余るような歓待と称賛を贈られる状況と、彼女の実際の願いのほうは遅々として進まない現実との間にある落差が余りに大きく、観ていて痛ましかった。

 ISによるヤジディ教徒の虐殺問題に誰も目を向けようとしなかったことからすれば、光を当ててくれ支援もしてくれるようになった状況は大前進には違いない。だからこそ、50万人の期待が彼女の肩にかかるのだろう。強い関心を寄せてくれる人々に感謝しつつも、「何が起きていたのかは知りたがるけれど、どうしたいのかは余り訊かれない。」と零していたように、ナディアが求めているのは、一般人が立ち入れないようなカナダ国会の議場を議長によって特別に案内してもらって議長席にまで腰掛けるよう促されて記念撮影をするような個人的な特別扱いではなくて、軍隊も政府も持たないヤジディ教徒が晒されている危機に国際社会が救いの手を差し伸べ、ISを掃討してくれることなのだ。

 彼女に寄り添ってカメラを回してきている作り手は、そのことがよく分るからこそ、ISに拘束された2年間に受けた虐待の部分についての証言はほとんど映し出さず、彼女の証言行動が引き起こし、もたらしたものを捉えることに傾注していたように思う。それは、間違いなく彼女の想いに添ったものだし、それについては、作り手としての確かな見識を感じもするのだけれども、ナディアの証言によって泣き出す人や卒倒する人まで現れたりしている様子を映し出しながら、そこに係る証言部分を封じられていることで生じてくる蟠りに少々難儀した。

 そもそもISなるものを生み出したのは誰だったのかを思うと、国際社会に過度の期待を寄せることは虚しいばかりなのだが、かといって、他に頼りにできるものが誰もいないなかで、彼女の同朋たちは、現に差し迫った危機に晒されているのだ。ふと前々日に観た演劇銀の滴 降る降る まわりに―首里1945―(劇団文化座)での「腹の立つことばかりされてもやっぱり日本軍を頼りにしてるんだ」との与那城区長の哀しい台詞を思い出した。与那城区長の期待は日本軍に叶えられるはずもなかったわけだが、現代の国際社会はナディアの立てた誓いに応えることができるのだろうか。

 次の日に観た『女を修理する男』が取り上げていた、二十余年前から続くコンゴ東部での常軌を逸した虐殺と性暴力に、十三年前に観たホテル・ルワンダ['04]で描かれていたフツ族の暴虐が関係していたとは、知らずにいた。そして、レアメタルなどの貴重な資源を算出する国を荒れた状態にしておくほうが自国活用を阻み、原料のままで輸出させることでの外国資本の利権保持にとって都合がいいという力が働いて、かの地に平和が訪れない構造になっているという点では、中東産油国の現状とかなり通じるものがあるように感じられて、何とも遣りきれなかった。

 前日に観た『ナディアの誓い』はイラク北部での惨劇だったが、同作にそこまでの踏み込みがなかったのは、石油利権のことは既によく知られているからでもあろうが、新興資源のレアメタルの利権については、それが新しい分、取り合い鬩ぎ合いも激しく、より荒んだ状況に現地がなっているということなのだろう。石油でもレアメタルでもなく、ダイアモンドの話でシエラレオネでの物語だったが、十二年前に観たブラッド・ダイヤモンド['06]のことも想起した。

 それにしても、2歳児や4歳児の女性器まで“修理”しなければならない惨状というのは何なのだろう。これまで4万人以上のレイプ被害者を診てきたとのノーベル平和賞2018の受賞者デニ・ムクウェゲ医師の話からは、最年少では生後2か月の女児という事例もあったらしい。少女の壊された身体を手術台に乗せて何人もの医療技術者総がかりで、腹腔鏡のような新鋭機器も使って施術を試みようとしながら、肛門と膣の境がなくなり、糞便が体内に押し込まれている有様に手の施しようがないと皆が涙と嗚咽を洩らしながら、手術を諦めた少女の年齢は何歳だったか、4歳と言った気がしたけれど、身体はもう少し大きくて6歳いや8歳くらいのような気がしたが、いささか動転していてよく覚えていない。

 彼も言っていたが、もはや性的欲望の発露というものではなく、女性を損壊破壊するための手段に男性器を使った暴虐行為として行っているということらしい。強姦した後、ナイフを突き刺したり、金属棒を突き立てたりして破壊された成人女性の性器を修理するのがムクウェゲ医師の仕事なのだそうだ。凄まじいという他ない。本作のタイトルにもなっている“修理”という言葉に彼の拘りがあったと聞いたが、そういう事情によるものなのだろう。

 また、被害女性の証言のなかに、最初はフツ族がやってきて始まったものが、ツチ族の男たちにも広がり、さらにはコンゴの男たちも強姦を行うようになったことが本当にショックだったというものがあった。民族間に横たわる深い淵の闇と同様に、かの地における男女間の淵の深さも暗さも想像を絶するところにあるということなのだろう。ムクウェゲ医師は、身体の修理のみならず心の手当てにも懸命に取り組んでいた。

 荒んだ状況のなかで、武器という破格に強力なものを手にした民兵がとんでもない勘違いの元に暴虐に走る図というのは、古今東西、引きも切らない。強力な武器を手にする状況というもの自体が引き起こすストレスがそれを手にした者を狂わせるのだろうし、正規軍ほどに統制も訓練も足りなければ、余計にそうなるのだろうことは、想像に難くないにしても、余りの惨状に絶句した。ミソジニーの克服もむろん必要なのだが、諸悪の根源は、武器の存在と流通にこそあるわけだ。それなのに、折しも我が国で遂に国内初となる総合的な武器見本市「DSEI JAPAN」が、政府の肩入れによって開催されたとの新聞報道などに接すると、本当に日本は現政権によって壊されてしまったとの思いが募ってくる。
by ヤマ

'19.11.28. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター
'19.11.29. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター



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