『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(ELser)['15]
監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル

 なかなか面白かった。ビュルガーブロイケラー爆発事件のことは、そう言えば、何かで仄聞したことがあるような気がしたという程度のものだったから、事件を起こしたゲオルク・エルザーのことは何も知らなくて、その単独犯行に大いに驚いた。しかし、それ以上に驚いたのは、第二次世界大戦を始めた1939年の、11月8日の犯行当夜に逮捕され、11月23日には取り調べも集結していたらしいのに、1945年4月までエルザー(クリスティアン・フリーデル)が処刑されずにいたことのほうだった。そのあたりの顛末にはまるで触れずに「五年後」として画面は跳んでしまうのだけれども、その間の彼の心境をもっと見せてもらいたい気がした。

 印象深かったのが、取調室の女性タイピストにエルザーが「ひとつ頼みがある」と、想い人エルザ(カタリーナ・シュットラー)と家族への伝言を頼んだ際に、「(ヒトラーを批判する)僕の話にきっと君も心動かされたはずだ」と明言し、タイピストからエルザの写真をそっと渡されていた場面だった。これによって、エルザーの取り調べに当たっていたネーベ局長(ブルクハルト・クラウスナー)が、『ワルキューレ』['08]に描かれたシュタウフェンベルク大佐による、後のヒトラー暗殺計画に加わったことには、このエルザー取り調べの一件が作用しているかのような匂わせ方をしている気がした。

 手元にあるチラシには「恋と音楽、そして自由を謳歌していた男の揺るぎない信念とは―?」との記述が見られたが、ナチス党が第一党に躍進した'32年当時のエルザーは確かに恋多き青年として自由を謳歌しているように描かれていた。今では、彼の名を冠した広場がミュンヘンに設けられているらしいが、彼が社会的に評価されるようになったのは、東西ドイツが解消された1990年代になってからのことのようだ。白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々['05]などに描かれた“白バラのショル兄妹”と比べると、随分と遅れてからのことのように思えた。これもまた、彼が背後に組織を持っていなかったことの証のように感じられるエピソードなのだが、もしかすると、人妻エルザと恋に落ちたうえに間借り人として親子所帯に住み込んで、子までなした彼の“自由”ぶりが顰蹙を買っていたのかもしれないとも思った。

 折しも今の日本では「あいちトリエンナーレ2019」の企画展の一つ「表現の不自由展・その後」の開催中止事件という異常事態が起こっているが、アームズ・レングス原則をわきまえない著名な政治家の不見識極まりない発言もさることながら、トリガーを引いたのは、数日前の京都アニメーション放火事件の大惨事を想起させるような脅迫ファックスと県への約5700件に及ぶ抗議電話・メール・ファックスにあるようだ。

 前日16日に亡くなったばかりのピーター・フォンダの代表作イージー・ライダー['69]を三十五年前に観た際の映画日誌の末尾に何の関係もない行きずりの農夫の手によって射殺される二人を描いたラスト・シーンは、そういった意味での真の自由の宿命を描いている。しかも、辛いのは、農夫が農夫であって警官ではないことだ。自由の抹殺に直接手を下すのは、体制ないし権力ではなくて、いつも平凡なる不自由人なのである。とかつて記したことを想起した。
by ヤマ

'19. 8.17. BSプレミアム録画



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