『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々
 (Sophie Scholl-Die Letzten Tage)
監督 マルク・ローテムント


 '85年11月20日に“シネマ・スクェアとうきゅう”で観たとの記録が手帳に残っている『白バラは死なず』の記憶は、もはや観た覚えくらいしか残っていないのだが、それでもかのナチス政権下で自由の名のもとに「打倒ヒトラー」を訴えた勇気ある学生たちの存在を僕の脳裏に留めてくれていた。だが、今回の作品では、“白バラ”の若者たち以上に、彼らと相対する国家権力側の対照的な二人の人物像が興味深かった。

 ベルリンの壁崩壊後、'90年代になって初めて出てきたらしい、東ドイツで保管されていたゲシュタポの当時の記録文書を元にヒトラー 最期の十二日間ならぬゾフィー(ユリア・イェンチ)の最期の五日間を描いていたのだが、五年前に観たスターリングラードにも描かれていた激戦にドイツが敗れ、ヒトラー独裁政権も末期に入り始めていたなかでは、僕はもっと滅茶苦茶な経過を辿って若者たちが処刑されていてもおかしくないような気がしていたので、ゾフィーとゲシュタポのモーア尋問官(アレクサンダー・ヘルト)が、それぞれに“良心”と“法”を根拠にしてきちんとした論戦を展開していることに意表を突かれ、感心させられた。そして、普通ならば、わずか二十一歳で、実に冷静に明晰なる弁舌を物怖じせず堂々と繰り広げるゾフィーに感心するべきところなのだろうが、そこは既に歴史に名を留めるに至っている若者だからかいくぶん既知の存在だったからか予期した範囲内のもので、むしろモーア尋問官が、短時間の内に家宅捜査などによる押収物件という“証拠”に基づいてゾフィーを追い詰め、行為事実のみならず動機に係る論戦にまで至る尋問を尽くしていたことに驚かされた。

 モーアの目には世間知らずの若気の至りとしか思えないゾフィーの“確信”がいたいけなく痛ましく映ったがゆえに持ち出されたように見えた取引についても、敢然と誇り高くはねつけるゾフィーの清冽さ以上に、モーアの温情やみがたい心中のほうが印象深かったのは、僕の年齢と娘持ちという境遇が招いたものだったのかもしれないが、フライスラー裁判官(アンドレ・ヘンニック)の人物像との対比がもたらしてくれたものだったようにも思う。彼こそは、この二年後に迎える『ヒトラー 最期の十二日間』に描かれていた末期的症状を疾うに先取りしていた人物で、元共産党幹部という負い目があるゆえの保身が狂信的ナチに走らせているとの風評とともに描かれていたように思うが、権力構造のなかで位が高くなるにつれ、人間はスポイルされていくものだと改めて僕が思ったのは、やはりモーアとの対照のなかでのことだったような気がする。

 そして、ハンスやクリストフらの“白バラ”の若者たちについては、豪胆とも思しき彼らの政府批判活動には似つかわしくない線の細さや無防備さのほうが、若々しくも現実感のある姿として印象づけられた。だからだと思うが、エンドロールで映し出されていた若者たちの写真がとても気になっている。どうも“白バラ”の若者たちの当時の生写真だという気がしてならないショット群だったのだが、もし、あれが当時の写真だったとすれば、そのモダンさたるや半端じゃなくて驚かされる。さりとて、今撮り直した代物なら、映画とはキャスティングを変えていたように見えるのが何とも不可解だから、やはり実際の彼らの姿だったのだろうが、ゾフィーの健康的で明るい笑顔が印象的だったり、バイクの後景に流れるラインが鮮やかだったりもして、素人写真とは思えない出来映えだった。

 本編のラストでは、彼らの発行したビラが連合軍の手に渡ったことで、占領政策に彼らのエピソードが最大限に活用されていたことを窺わせてもいたが、実際ゾフィーが映画に描かれていたような稀有な魂を備えた人物だったにしろ、もっと苛烈なレジスタンスに身を捧げた名もなき人々が他にも大勢いるなかで、なぜ“白バラ”の彼らが特段の光を浴びて後世に伝えられているのか、僕のなかで得心がいったように感じられた。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0607_1.html
by ヤマ

'06. 7.12. 美術館ホール



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