『ロンドン、人生はじめます』(Hampstead)
監督 ジョエル・ホプキンス

 十年ほど前に観た同じ監督の新しい人生のはじめかたを明らかに意識している邦題が、思いのほか似合っている作品だった。

 “我が女優銘撰”に『ミスター・グッドバーを探して』『恋愛適齢期』『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』を挙げているダイアン・キートンが、本当に幾つになっても知的な可愛らしさを保ち続けていることに感心しつつ、改めてフラワーチルドレンのメンタリティを体現している女優だと思った。二年前の本作出演時には七十代に入っているはずなのだが、自然志向の新たな生き方に自分らしさを見い出して踏み出す女性像が実に似合っていた。

 彼女の演じるエミリーと、秀作コールド・マウンテンでろくでなしの父親を演じていたブレンダン・グリーソンの演じるドナルドとの待ち合わせ場所が、カール・マルクスの墓の前だったりすることに頬が緩んだ。そして、その墓地に埋葬されているラファエル前派のロセッティの妻にまつわる秘話が語られ、美術館でのデートやらエミリーが若い時分にものした写真の才を褒められるといったエピソードの展開を観ながら、そう言えば、ニューヨーク 眺めのいい部屋売りますで彼女が演じていたのも画家の妻だったりしたことを想起した。思えば、同作のリチャード・ロンクレイン監督は、ダイアン・キートンと同世代で、本作と同年作になる輝ける人生でまさに「ロンドン、人生はじめます」ともいうべき作品を撮っていて、それこそフラワーチルドレンたるビフ(セリア・イムリー)を造形し、'60年代の政治の季節を過ごし、反体制的で、性差別や人種的偏見を乗り越えようとして生きてきた時代のタフな女性の今に生きる姿を描いていた。

 ジョエル・ホプキンス監督は、彼らより二回り若い言わば息子世代になるわけだが、本作には、人間関係の切り結び方における理性的な態度や自己決定権、セックスへの向かい方など、フラワーチルドレン世代ならではのものが少々憧憬的に描出されている感じがあって、嵌まり役とも言うべきダイアン・キートンが、なんだかとても清々しかった。'70年代初めにヘレン・レディが歌って大ヒットしたフェミニズム・ソングとして知られる♪I Am Woman♪の歌詞がエミリーとドナルドの会話のなかで引用されたりするのがいかにも相応しい。彼女が彼との出会いによって、自分が見失っていたものを取り戻したように感じたのは、つまりはそういうことだったのだろう。ドナルドの言葉に「♪私は女♪ね。」と微笑みながら返したエミリーの一言でそのことを察知できる世代は限られているのかもしれないが、なかなか洒落た巧い使い方だと思った。本作の際立った特長とも言える“ユーモア&お洒落”によく見合っている。

 エミリーが亡夫の浮気相手と目星を付けていたと思しきフィオナ(レスリー・マンヴィル)と最後に交わしていた会話における双方の理性的な態度など、その最たるもののように感じられ、ドナルドが自分との関係を高級マンションの住人に知られたときにエミリーが覗かせていた“羞恥”に傷ついたと表明した際の彼女の弁明の場面ともども、けっこう気に入っている。

 そして、日本でも制度的には認められている土地の時効取得にまつわる法廷弁論での納税と行政サービス受給についてのドナルドの主張がまた、いかにもこの世代的で、なかなか痛快だったように思う。チラシを読むと「ロンドンの高級住宅地ハムステッドの国立公園で暮らしていたホームレスの男性が周囲に助けられ、計らずもその場所の所有権を手にして一夜にして資産家になった実話を基に映画化」と記されていたが、そう言えば、そんな果報話を新聞の海外ニュースで随分前に読んだことがあったような気がする。

 最近では珍しくなった102分のコンパクトさで、なかなか触発力に富んだ、豊かな作品だったように思う。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/19050101/
by ヤマ

'19. 4.28. あたご劇場



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