『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』(5 Flights Up)
監督 リチャード・ロンクレイン

 モーガン・フリーマンとダイアン・キートンが四十年連れ添ったカーヴァー夫妻を演じた本作は、その夫婦の年期を重ねた味わいに見どころがあるとされているのだろう。むろん確かにそこのところの妙味は、若かりし頃の二人を演じたコーリー・ジャクソン【アレックス】とクレア・ヴァン・ダー・ブーム【ルース】の好演もあって、実に微笑ましく好もしかったが、僕には夫婦ものとは少し異なるところが最も響いてきた。

 思い出したのは、公開当時、妻子ある黒人男性と独身の白人女性の不倫恋愛を描いたことがタブー破りだと話題になった『ジャングル・フィーバー』['91]のことだった。家庭持ちでも白人男性が黒人女性に手を出すのは構わないが、逆の映画は許されないハリウッド・タブーに触れた脚本・製作・監督のスパイク・リーの過激さが注目を浴びていたような記憶がある。

 あれから二十五年、黒人差別がすっかり解消されたわけではないにしても、いまや大統領にも選出されるようになったアメリカでは、黒人男性と白人女性の恋愛ではなく、長年連れ添った夫婦の睦まじい寄り添いを描く作品が現れるようになったわけだ。

 五階までの階段の上り下りが厳しくなって来たカーヴァー夫妻がお気に入りの愛着のある住まいを内覧会を開いた競売で売り払う話と新たな引っ越し先を探す話に、近所の橋で起こったテロ騒ぎと老いた愛犬の入院話が並行して、少々とっ散らかったような慌ただしさとともに描かれる。

 テロ騒ぎが住居の売却価格に影響を及ぼしているタイミングの悪さ以上に、その後も続けて描かれることに少し違和感を覚えていたら、アレックス(モーガン・フリーマン)がTVを観ながら、 テロリストとしてメディアの報じていたアラブ青年が発見され、取り押さえられる様子に対して、「いま膝を折って手を挙げた男は普通の青年じゃないか」と異議を唱える場面が出てきた。今や流行らなくなった肖像画を長年続けてきた描き手として人物を観る目には自負もあるに違いないところが効いていて、彼が思わず声を上げる形になっていた点が目を惹いた。

 いまアメリカでは、かつての黒人と替わる位置にあるのがアラブ人なのだろう。そして、かつての黒人がそうだったように、プアホワイトの不満のガス抜きをする標的としての社会的装置の役回りを負っているのだろう。いつだってエスタブリッシュメントの側は、そのような社会的装置を必要とし、作り上げてくるとしたものだ。

 あえて少々くどいまでに本作でテロ騒ぎの話を追っていたのは、そういうことだったかと、いまでもなお物珍しい組み合わせだろうと思われる夫婦の物語を設えていることの意図に感心した。ルースとアレックスのような関係を夢物語だと一蹴するのか、四十年前に素直に祝福できない母親に対して決然たる意志を表明したルース(クレア・ヴァン・ダー・ブーム)がアレックスとともに築き上げた絆に学ぼうとするのかは、それぞれだろうが、上等なのが後者であることは論を待たないように思う。それなのに、昨今は何かというと綺麗事だの理想論だのと小馬鹿にして揶揄する向きがネット言論を中心に跳梁跋扈するばかりか、社会心理として一般化してきている気がしてならない。

 アレックスとルースの関係が若き日の画家とヌードモデルとしての出会いというかなり特異な形で始まりながらも、四十年連れ添った後において、いささかもエキセントリックな部分を感じさせないものに育まれ、慌ただしさのなかにあってさえ実に穏やかで自省心と寛容を湛えていることに感銘を受けた。いわゆる男女の相性に恵まれたという観方もできるのだが、相性のよさを生み出すのも若き日にルースが決然と見せていた“意志”による部分が大きいのだと、僕が若き日に読んだ『愛と意志』(ロロ・メイ 著)のことを思い出したりした。

 夫婦間の思いやりの現れ方の描出が絶妙で、四十年前の母親への表明とも同じく明確な主張と意志を露にするのは概ねルースなのだが、その動機が夫であれ愛犬であれ常に“我が愛する者への想い”という母性に立っていることが目を惹いた。夫妻に子どもはいないのだが、若い時分から知的な女性のチャーミングさを演じる役どころが多かったダイアン・キートンが演じるなかで、ルースに豊かな母性を漂わせていたところに大いに感心した。愛着のある部屋を処分しての引っ越し騒動の発端も、アレックスが階段の上り下りに難儀してることに対してルースが意を決したことからだった。アレックスの側も本当は乗り気ではなかったのに、妻が自分のことを思いやって進めている話の腰を折ることへの配慮から愛妻の気の済むようにやらせ従っているように僕の目には映った。どちらの側も伴侶に対する思いやりに満ちているように感じられ、実に好もしかった。夫婦関係によらずとも人種間あるいは社会的強者と弱者の間に求められるべきものは、こういうものであって、勝ち組負け組などという競り合いや争いではないという本旨を見失ってはいけないのだと思う。そういう“眺めのよさ”こそが、カーヴァー夫妻の住む部屋の暗示しているものだった気がしてならない。

 それにしても、100万ドルと言えば1億円超だ。確かに眺めのよさげな佇まいの素敵な部屋だったが、あれで1億円超とは驚いた。愛犬ドロシーの手術代も1万ドルと言っていたから、百万円超ということになる。アレックスがルースを慮って出費を厭わなかったことをルースが嬉しそうにしていたから、彼らにとってもはした金ということではなかったにしても、あの歳で95万ドルで売った後に住む新居を110万ドルで購入しようかとしていたのだから、かなりの富裕層だったのか、或はニューヨークと高知の貨幣価値の違いでしかないのか、いずれにしても少々驚いた。日本のTVでよく耳にする「リーズナブル」という言葉が本来の意味を違えて「安価な」ことをいうようになって久しいが、食を扱う番組でレポーターが「リーズナブルなお値段」というのが最近は少しも安価だとは思えなくなってきているから、東京人からすれば、100万ドルの部屋も1万ドルの手術代も破格の値段ではないのかもしれない。




推薦テクスト:「映画通信」より
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推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
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推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
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by ヤマ

'16. 6.21. あたご劇場



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