『新しい人生のはじめかた』(Last Chance Harvey)
監督 ジョエル・ホプキンス


ヤマのMixi日記 2010年11月06日00:36

 思わぬ拾い物のような秀作だった。「あきらめて生きるほうがずっと楽になった私の人生に入り込んできて…」と困惑と喜びを交錯させているケイトを演じたエマ・トンプソンが絶妙だった。

 「私たち、うまくやっていけると思う?」と問うたケイトに対し、「皆目見当がつかない、でも…」と答えたハーヴェイ(ダスティン・ホフマン)が続けた「アイ・ウィル」という変哲もない短い台詞が沁みてきたのは、前半でテンポよく的確に描き出されていた二人の寂しさが利いていたからだろう。わずか三日の出会いで人生を変えることがあっても、そして、それが幾つであっても、いいじゃないかという気持ちに観ていて素直になれるのは「まだ私のこと何も知らないのに」というケイトが、ハーヴェイにとっては、娘の結婚披露宴を逃げた自分に出席を促し、父親の面目を施すに足る見事なスピーチをする機会を引き出してくれただけで既に充分以上の存在であることが伝わってきたからだろう。

 45歳独身のケイトは、格別“高学歴高収入の都市文化の担い手”には映らず、従って酒井順子的“負け犬”ではなさそうなのだが、それでもやはり若い頃に迷うことなく中絶してしまった子供のことを時折空しく思い起こしたりしていることを零していて少々堪えたのだが、17歳の年齢差を越えて62歳のハーヴェイと人生を歩み始める勇気を得た姿がなかなか素敵だった。
 ハイヒールを脱いで背の低いハーヴェイと肩を並べて往来を歩き始めたケイトが象徴的で、酒井順子的“負け犬”さんたちもケイトのような踏み出しをすれば、おそらくは随分と人生が新しいものになるのではないかと思ったりした。

 それにしても、45歳独身女性の17歳の年齢差の恋ということでは、ちょうど今NHKでやっている『セカンド・バージン』というドラマで、鈴木京香の演じている出版社専務の相手が17歳年下になる28歳の妻帯者であるのが、何とも奇遇とも言える好対照を見せていて、興味深く感じられた。


*コメント

2010年11月06日 00:59
(ミノさん)

 サカイさん達も見てると思うな~。コノテの映画は(笑)。
 人生変えたいのか、変えたくないのか。踏み出すのかとどまるのか。自分だけではもはやわからない(笑)。



2010年11月06日 01:15
ヤマ(管理人)

 サカイさんたちが変えたいのは、中村るい(鈴木京香)のように? それとも、ケイト(エマ・トンプソン)のように?(笑)
 まぁでも、ケイトの場合も中村るいの場合も、自分から求めてというのではなかったような。でも、ケイト、ハーヴェイとキスした場面では、彼女のほうから唇を合わせにいったんですけどね。



2010年11月06日 08:30
(TAOさん)

 この邦題、紛らわしくて、ダメですねー。タイトルだけ見ると、ジャック・ニコルスンのだっけ?と思っちゃいました。いや、あれも悪くない映画でしたが。
 エマ・トンプソンとダスティン・ホフマン、予想外にいい組み合わせでしたねえ。辛辣だけどユーモアのあるテンポのいい会話が楽しくて。二人は前に脇役で共演したときに意気投合して、監督に企画を相談されたトンプソンがすかさずホフマンを推薦したという製作裏話もいいなあと思いました。



2010年11月06日 08:56
ヤマ(管理人)

 TAOさんも御覧になってたんですねー。ほとんど話題になってない作品だったように思うのですが、流石だ!(感心)
 「これはめっけもんでしたよー」との感想も全く同じで、イケズな会話をこれでもかと交わしながら、ズケズケと思ったことを言うけれど心根の優しいケイトをハーヴェイは好ましく思い、ケイトもまた率直で気取らないハーヴェイが好きになるとお書きのとおりの物語がいい味を出してましたよね。

 それにしても、相手役となる17歳年上の62歳のハーヴェイに70歳を過ぎたダスティン・ホフマンを推したのがエマ・トンプソンだったとは!

 いやぁ、ホントちょっとした表情や仕草がニュアンス豊かで素敵な作品でしたねー。離婚した両親の間に挟まれて、少し後ろ髪引かれながらも、已む無い現実もあって8:2くらいの割で、母親の側に身を置いている娘の立ち位置の微妙さを非常に的確に描き出していましたね。いちばん感心した部分でした。
 だから、ハーヴェイのあの見事なスピーチが娘には何よりも嬉しかったろうと思います。娘がそう感じてくれたことを確かな手応えとして得たハーヴェイが、少々浮ついた有頂天になってダンスに耽り、ケイトを放置しちゃったのは、多分いつも彼が繰り返してきたであろうエラーなんでしょうが、それだけのスピーチを果たせた機会への後押しをしてくれたケイトは、既に彼にとって掛け替えのない存在になっていたであろうことに、とても納得感がありました。



2010年11月06日 10:28
(アリエルさん)

 先日、DVDで見ました。エマ、ホフマン、コンビ、初めてですよね。意外な感じが逆によかったです。
 私はシーンで、確かエマの文学かの講習のガラス窓の部屋からのが残っています。あのシーン2回ありました。
 40代で母を持ちシングル、以前はきっと早く結婚を!と言っていたでしょうね。友人でもいますが。いまではずっと家にいて介護をしてほしい? となってます(^_^)。親は勝手でもあります。うちもどうなることやら・・



2010年11月06日 11:09
ヤマ(管理人)

 お、アリエルさんも御覧になってましたか。もうDVDが出ているんですねー。
 僕も二人の共演を観たのは初めてですが、TAOさんによれば、共演自体は初めてのものではないようです。脇役らしいですが。

 文学講座の場面は、確かに2回。最初は、飛行機の搭乗手続きに遅れて、離陸前なのに受け付けてもらえなかったハーヴェイが声を掛けたケイトに心惹かれ、翌朝まで帰国便のないロンドン滞在のなか、彼女との話を続けるために彼女が予定していた講座の受講を済ませるまで外で待っているときに、ガラス越しに教室の様子を窺っていたように思います。
 自分と話をしたくて一時間以上も外で待ち続けるとの彼の申し出に驚きつつ、妙に心が浮き立っている風情をエマがよく醸し出していました。2度目は、翌日正午の約束に訪れることのできなかったハーヴェイがケイトの勤務先を訪ね、退勤して講座に行ってると聞かされて向かいましたね。
 同僚は、ケイトと知り合って間もない彼がその場所まで知っていることに驚いた表情を見せていましたが、ハーヴェイに「まだ私のこと何も知らないのに」とケイトは言うけれども、実は他者からすれば、そんなことまでって思うくらい二人は互いを既によく知り合っていることを描いていたように思います。
 最初の講座場面ではケイトの言葉でしか説明されていなかった講義のなかで、86歳(確か)の講師の語る“性的サスペンス”というものの話の一端も窺えましたね。とても明るく開放的な造りの教室のなかで受講しているケイトの姿と、彼女を追って訪ねてきたハーヴェイの姿がガラス越しに映し出されたような気がします。

 ケイトの母親は、きっとアリエルさんがおっしゃるとおりの方だったのでしょうが、エンドロールのなかで、自分から隣家のポーランド人を訪ねて行ってましたから、彼女もまた娘にばかり頻繁に電話を掛ける寂しい生活を変えていきそうなことが仄めかされていたような気がします。やっぱ大事なのは「アイ・ウィル」なんですよ(笑)。



2010年11月07日 08:59
(TAOさん)

 娘の微妙な立ち位置の描き方、ほんとに上手でしたね。
 エンドロールの母親のエピソードも拍手でした。娘が新しい一歩を踏み出すと、母にもそれが伝わるんですね。家族や誰かを変えようとするより、まず自分が変わること。それが「アイ・ウィル」ですね。



2010年11月07日 14:23
ヤマ(管理人)

 そうなんですよ。この作品の主題は、まさしくそこですからね~、「アイ・ウィル」。そういう意味では、『新しい人生のはじめかた』という邦題は、直球過ぎて気は利いていませんが、作品をよく捉えているかも(笑)。

 それはともかく、娘の微妙な立ち位置の話に応えていただき感謝(喜)。
 ありがちなドラマだと、二人のかこつ寂しさを利かせるために、別れた妻も娘も、ひたすら彼が味わう惨めさと寂しさの道具立てに使われてしまうとしたものですが、決してそうはしないことで作品の品性を高めるとともに、むしろ彼が失っているものに重みを加えることで、かこつ寂しさの深みを増すばかりか、スピーチを受け止めてもらえた嬉しさに舞い上がる彼の姿を描き出すことで、ケイトの寂しさを浮き彫りにし、尚且つ子供にまつわる彼女の告白へも繋いでいるわけで、本当にうまいなぁと感心しました。娘スーザンの描き方って、本作の鍵を握っていたように思います。
こっちはもう、いよいよ以って日誌を綴るまでもなくなってきてしまったなぁ(苦笑)。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1412051450&owner_id=3700229
編集採録 by ヤマ

'10.11. 5. 美術館ホール



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