『鈴木家の嘘』
 監督 野尻克己

 人の命は何ゆえ重いのか、自殺がキリスト教であれ仏教であれ、ひときわ罪深いとされるのは何ゆえか、といった問いに、明確に応えている作品だという気がする。
 遺された者にこれほどのダメージを与えるからに他ならないと素直に思えた。実際に経験していない者には、ちょっと想像が及ばないような、作り手が確信的に滑稽味を添えて描き出しているエピソードの数々が沁みてくる。そんな馬鹿なとは、とても言えない痛切さが宿っているように感じられた。そして、兄浩一(加瀬亮)を自殺で亡くした大学生の妹富美(木竜麻生)が、グリーフワークの集いへの参加を重ねるなかでようやく発することのできた怒りの叫びに心打たれた。

 また「幸男(岸部一徳)さんは嘘が下手だなぁ…姉さん(原日出子)が目覚めても、僕は黙ってますからね。」などと連れションをしながら言っていた、調子と人のいい義弟の博を演じていた大森南朋と、息子に死なれた少々気の利かない父を演じていた岸部一徳が、いい味を出していたように思う。

 グリーフワークの集いでいつもハイテンションな米山(川面千晶)のことが気に障っていたと思しきボランティアスタッフが「あちこち掛け持ちで出没しているようだし、いつもタクシーで現れるなんて、いい身分だと思いませんか」などと陰口を叩いた際に、静かに釘を刺していた日比野(吉本菜穂子)の言葉が、とても印象深かった。人が心の奥深くに宿している強い悲しみは容易に表出できなくて、抑圧しないではいられないから、却って表からは見えにくかったりするものなのだろう。

 それにしても、赤エビのアルゼンチン、チェ・ゲバラというのは、どこから出てきたものだったのだろう。ある種の突拍子のなさとして、ソープランド「男爵」とともに、映画的にはけっこう利いていたと思うのだが、それ以上の意味をもって響いてくるものが僕のなかに湧いてこなくて、「なぜゲバラ?」と妙に気に掛かっている。

by ヤマ

'19. 4.18. あたご劇場



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