『バジュランギおじさんと、小さな迷子』(Bajrangi Bhaijaan)
監督 カビール・カーン

 人が人を国籍や民族、人種、宗教の違いで嫌悪したり侮蔑する愚劣な心貧しさに侵されるようになるのは、一体なにゆえなのだろう。インドvsパキスタンに限らず、ヒンドゥー教vsイスラム教に限らず、我が国も含め世界中のあちこちに蔓延っていて、絶えることがない。無論それらを利用し煽ることで求心力を得ている勢力が政治権力にもメディアにもあって、さかんに洗脳を試みていたりはするのだが、それにしても少なからぬ人が易々と思う壺に嵌ってしまうのは、なにゆえなのだろう。そして、本作でもそうだったように、その壁を越えようとするには、人々から「イカレている」と見られるほどの愚直さを備えていないと叶わないのは、なにゆえなのだろう。

 本作を観ていると、改めてその嫌悪や侮蔑の愚かさが胸に迫ってくる。実に圧巻のエンディングだった。

 ヒンドゥー教のハヌマーン神の熱烈な信者であるバジュランギことパワンを演じたサルマン・カーンの出演作を観るのは初めてだと思ったが、六年前にあたご劇場が“ボリウッド4”+1 in あたご劇場」をやったときに観ていた。制作も担っているようで、その肉体ともども、マサラ・ムービーのシルベスター・スタローンだと思った。彼の演じるパワンの不器用な感じ、愚直さは、まさにロッキー・バルボアで、本作にもまさしく『ロッキー』のような怒涛の終盤が押し寄せてくるのだ。

 幼女シャヒーダー(ハルシャーリー・マルホートラ)を抱きかかえた最後は、「エイドリア~ン!」ならぬ「シャヒーダ~!」との叫びが聞こえて来そうだった。この力業で持って行かれる感じは、ある意味、映画の快楽そのものであるような気がする。

 それにつけても、このスケール感とエンタメ感は、さすが世界に冠たるインド映画だ。そのうえで、メッセージ性にも富んでいるのだから、大したものだ。政治性では、十八年前に観た圧巻のエンタメディル・セ 心からには及ばないかもしれないが、イン・アメリカ/三つの小さな願いごとのエマ・ボルジャーにも匹敵するようなハルシャーリー・マルホートラの愛らしさが堪らなかった。




推薦テクスト:「ユーリズモ」より
http://yuurismo.iza-yoi.net/hobby/bolly/BaBh.html
by ヤマ

'19. 4.16. 喫茶メフィストフェレス2Fシアター



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