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『ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い』 https://www.nhk.jp/p/butterfly/ts/9N81M92LXV/episode/te/YMQ6VXGW78/ | |||||
映像の世紀バタフライエフェクト 選
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視聴者によるアンコール希望で第2位となっただけあって、「バタフライエフェクト」のなかでも屈指の出来映えだと感銘を受けた。生年月日がわずかに四日しか違わず、まさに映像の世紀に相応しく、各々の分野において映像表現の力を画期的な次元で発揮した人物の対照が見事だった。 二人を対照させれば、自ずと焦点は『チャップリンの独裁者』['40]になるわけだが、ヒトラーの演説に関して、ユダヤ人監督による『わが教え子、ヒトラー』['07]への言及があり、映画の基になったオペラ歌手パウル・デフリーントの晩年の姿が放映されていたことが目を惹いた。だが、配信動画では削除されていた。何があったのだろう。ヒトラープロデュースの怪物映画『オリンピア』['38]【第一部「民族の祭典」、第二部「美の祭典】を観ることができたのは、わずかに三年前でしかないが、圧倒された覚えがある。 それにしても、第二次大戦開戦前のオーストリア併合及びチェコスロバキアのズデーデン地方割譲の時点から『チャップリンの独裁者』の映画化を企画していて、いよいよ開戦となった八日後に、かの最後の6分間の大演説場面を撮り直してラストを差し替えたチャップリンは、やはり凄いというほかない。番組の冒頭で「ちょっと考えてみろ、彼は狂人で私は喜劇役者だ。しかし一つ間違えば、その反対になっていたかもしれない。私がこうしていられるのも、神様のおかげだ」との言葉を紹介していたが、その人間観は決して忘れられてはいけないものだ。死を前にしたヒトラーが、自分の思想は自分と共に滅びるが、百年後には新たなナチズムが生まれるだろうと秘書に言い残していたことや、つい最近観たばかりの『アンネ・フランクと旅する日記』['21]において、「今から1年後」の話としていたことに通じるものだと思う。 ナチスドイツの敗れた戦後のアメリカに吹き荒れた“赤狩り旋風”のなかでのチャップリンの言葉「私は祖国を熱狂的に愛することができない。なぜならそれは、ナチスのような国をつくることになるからだ。ナショナリズムの殉教者になるつもりはないし、大統領のため、首相のため、独裁者のために死ぬつもりもない」を改めて感慨深く聴いた。これもまた、今とりわけ噛み締め直さなければいけない言葉だと思う。 枢軸国においては公開されなかった『チャップリンの独裁者』が二十年後の '60年に日本で初公開されたときの反応や同時多発テロの五か月後の2002年に旧東ベルリンで初上映となる形で上映されたこと、近年のウクライナ戦争にも言及して「平和の扇動者」「民主主義のプロパガンダ映画」というチャップリン自身の言葉による想いを受け継いだ構成にしてあることが感慨深かった。 | |||||
by ヤマ '23. 7.31. NHKプラス | |||||
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