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『わが教え子、ヒトラー』(Mein Fuhrer) | |||||
監督 ダニー・レヴィ
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二年前の地元紙の夕刊に「興行トップでも ヒトラー映画 笑えない 初の独製パロディー不評」「地元メディア“冗談に徹していない”」「ユダヤ人組織“共感呼ぶ内容”と批判」との見出しで、スイス生まれのユダヤ人監督が撮ったドイツ映画の外電記事が掲載されて、ずっと気がかりだったのだが、今頃になって、思いがけなくも地元劇場で公開された。作品的には、興味深く観られる映画だったものの少々中途半端さが気になる代物だったが、国内配給前における外電での報じられ方と映画配給会社による売り方の違いの乖離ぶりが非常に面白く、印象に残った。 新聞では『マイン・フューラー(わが総統)』との原題で報じられていた作品タイトルが、総統から教え子に転じているのは、ヒットした『善き人のためのソナタ』で印象深かったウルリッヒ・ミューエが、ヒトラーに演説指導をするユダヤ人俳優の役を演じていたからなのだろう。そういうのはありがちなことだが、新聞の見出しで興味をそそられていたパロディー映画という切り口が後景に追いやられ、シリアスもののように転じていることには大いに驚いた。チラシでは「私が見たのは、狂気の独裁者ではない、ひとりの孤独な人間だった-」との惹句のもとに、パロディどころか「敗戦直前のドイツ帝国で、ヒトラーに演説指導した教授がいた。ユダヤ人監督が描く、実話から生まれた感動のヒューマンドラマ。」となっていたわけだが、観終えてみると、新聞記事のほうが妥当であることがよくわかった。裏面に大きな文字で書かれた「映画史上初! ユダヤ人監督が描いた人間・ヒトラーの新事実。」などというのは、いくら商業ベースとはいえ、少々やり過ぎで、配給もこんなことしてはいけない気がする。 もっとも、二年前の外電記事で報じられていた監督談話「(ヒトラーを)実は笑い飛ばしたいとのドイツ人の欲求があるはず」が真意だとしたら、作り手として憤慨せずにはいられないような売り方を日本の配給はしていることになるけれども、そうされてしまうのは、この作品が中途半端なパロディ仕立てだからでもあり、自業自得なのかもしれない。もっと挑発的にパロディに向かえば面白かったと思うのだが、先の記事によれば「ヒトラーを風刺したチャプリンの映画などはあるが、“加害者”ドイツで風刺作品を制作することはタブーで、ヒトラーの苦悩を描いた『ヒトラー~最期の十二日間~』('04)でさえ批判を浴びた」とのことだから、困難な制作事情があったのかもしれない。 パロディであろうが、シリアスであろうが、いずれにしても大いに不満だったのが、ヒトラーと同じアドルフという名を持つ演劇人グリュンバウム教授(ウルリッヒ・ミューエ)を収容所から呼び寄せ、ベルリンが空爆に晒されるに至って自信を失っているヒトラー総統(ヘルゲ・シュナイダー)の演説指導を行わせていたゲッベルス宣伝相(ジルヴェスター・グロート)の思惑が何処にあったのかが不鮮明だったことだ。物語の基軸としてそこを明確にしたうえで、ヒトラーにまつわる都市伝説の集大成としてのパロディ表現となっていれば、チラシの裏面に記載されていた「センセーショナルな皮肉とユーモア、知性に満ち溢れた問題作!」に充分成り得たのではないかと思う。道具立てとしての美術や演技の充実感には堂々たるものがあっただけに残念な気がした。 | |||||
by ヤマ '09. 4. 8. あたご劇場 | |||||
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