『密偵』
『1987、ある闘いの真実』(1987)
監督 キム・ジウン
監督 チャン・ジュナン

 先に観た『密偵』にしろ、翌日に観た『1987』にしろ、レジスタンスを描いた人間ドラマというのは、どこか根底の部分で震えがくるようなところがある気がする。とはいえ、いま還暦の僕が生まれる四十年前の日本統治時代の「義烈団(ウィヨルダン)」と、自分が同時代を過ごしている三十年前の全斗煥政権を追い込んだ民主化闘争とでは時代的に約七十年の開きがあり、後者がよりインパクトがあるのも当然で、なかなか強烈だった。

 前者では、朝鮮人でありながら大日本帝国の警務局に勤めるイ・ジョンチュル警務(ソン・ガンホ)が、義烈団側に沿う諜報活動を行うのも、警務局を攻撃するのも、大義などには関係ない個人的義である点が、思いのほか清々しかった。頭で考え、言葉で装う“正義”ではなく、行き掛りのなかで身体感覚の選び取った“個人的義”とも換言できるかもしれない。自身の頭が混乱してきていることをいかにも持て余しながら果敢に行動している姿が、少々可笑しくも胸を打つ。タクシー運転手 ~約束は海を越えて~でもそうだったが、こういう役どころに、ソン・ガンホはよく似合う。義烈団団長チョン・チェサンを演じていたイ・ビョンホンとの相互の役の入替はあり得ないと思える配役がピタリと嵌まっていたように思う。

 後から観た『1987』以上に凄惨な拷問シーンが頻出していたような気もするが、結局のところ、イ警務の上海時代の旧友で義烈団員になったジャンオク(パク・ヒスン)を売った人物も、ハシモト(オム・テグ)を名乗っていたイ警務のライバルも、さらには彼らの上司さえも含めて、直截的な悪役をいっさい日本人に負わせていなかったのは、本作が製作された2016年当時は、まだ日本側への配慮があったということなのだろうか。ハシモトに対するイ警務の「二人だけで話すときはハングルにしようや」との台詞に驚いていたら、最後にヒガシ部長(鶴見辰吾)にまつわるものと思しき驚くべき書類が示され、唖然とした。

 その『密偵』はいかにもドラマ仕立てだったからまだしも、延世大学生イ・ハニョル(カン・ドンウォン)が催涙弾の水平撃ちに倒れたカットが実際の写真そのままだったような実録仕立ての『1987』でも、南営洞のパク所長(キム・ユンソク)は脱北者のようだった。実際に対共秘密警察組織の所長に脱北者を充てていた事例があったのだろうか。

 1987年と言えば、我が家にしょっちゅう孫を連れてくる下の端の娘の生まれた年だ。娘は3月生まれだから、本作に描かれた二人の学生の死のちょうど間で生まれたことになる。アメリカのグァンタナモ基地での拷問に等しい人権侵害が告発されたのは、21世紀になってからのことだ。これは自国民に対してではなかったが、サウジアラビアではつい最近、自国民のジャーナリストを大使館内で殺害するなどという驚くべき事件が明るみに出た。古今東西で絶えることのない暴虐が権力の名の下に行使されているわけだ。だからこそ、そこまでの事態に立ち至る前に権力の暴走に歯止めをかけておかないと、空恐ろしいことになると改めて思った。

 戦後憲法に平和主義を謳う我が国においては、かつての特別高等警察や軍隊が行なったような暴虐は、もう起こらなくなっているように思っていたが、強権への忖度とその下での保身のためには、こんなことまでするようになったのか!と唖然とするような、嘗てなら考えられなかった出来事が頻出する状況は、既に間違いなく訪れているだけに、恐ろしさも増してくる。権力機構のなかで暴虐を部下に行わせるのは、本作のパク所長がそうだったように、自分を上回る“強権への忖度とその下での保身”であることが共通しており、直接手を下す者に共通しているのは“感覚の麻痺とともに訪れている積極的な使命感”であることが哀しい。それで言えば、前段部分は既に間違いなく現在の日本の権力組織のなかに蔓延しており、いまや後段部分に迫って来つつあるという感じだ。それを思うと、本作のラストカットでの延世大学新入生ヨニ(キム・テリ)のような形で、孫にバスの屋根へ攀じ登らせる日が来ないことを願わずにいられなかった。

 凄惨な拷問ということでは、対共秘密警察がソウル大生パク・ジョンチョルを拷問死させた1987年を描いた本作は『密偵』を想起させるのだけれども、叔父の刑務所看守ハン(ユ・ヘジン)のレジスタンス活動に眉を顰めていたのに最後はバスの屋根で拳を震わせることになるヨニに着目すると、四か月前に観たばかりの、1980年の光州事件を描いた『タクシー運転手』を想起せずにいられない。ノンポリ市民がいかにして果敢な行動に身を投じることになるのかを思うと、両作は瓜二つのようにも感じられる。その鍵になっているのは『密偵』のイ警務が体現していた頭で考え、言葉で装う“正義”ではなく、行き掛りのなかで身体感覚の選び取った“個人的義”なのだろう。また、報道の果たした役割の明示という点でも『1987』と『タクシー運転手』は兄弟作品のようなところがある気がする。

 さればこそ、極めて正当な社会派映画として成功している『1987』に感銘を受けつつも、それを社会派ではなく笑えるエンタメとして撮り上げた『タクシー運転手』の映画的挑戦に対する想いを新たにする部分があった。そして、『1987』以上に『タクシー運転手』のほうを讃えたい気持ちが、本作を観ることで強く湧いてきたのだった。『1987』を観るような人は間違いなく『タクシー運転手』も観るだろうが、『タクシー運転手』は『1987』を観ないような人までも劇場に誘導し、名もなき市民の心意気が社会に大きな影響を与え得るということに目を開かせる可能性を広げていたように思うからだ。

 いまの日本映画には、そのどちらの作品も見当たらなくなっている気がして仕方がない。いつの間に、これほど韓国に後れを取るようになってしまったのだろう。過日、座談会「思い出を語ろう 高知の映画館」に出席した際に、参加者の方から、学校の総見で今井正監督の武士道残酷物語['63]を観たという話を伺って驚愕したのだが、いまの公教育でそのようなことは、とてもじゃないが起こり得なくなっている気がする。
by ヤマ

'19. 1.20. あたご劇場
'19. 1.21. 美術館ホール



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