『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』(A Taxi Driver)
監督 チャン・フン

 '80年韓国の光州事件は、'89年中国の天安門事件と並んで、同じく学生・市民の抗議の声に対し、東西の体制の違いを超えて政府が戒厳令を発動して軍事制圧を行った大事件として、僕が同時代に見聞している最も衝撃を受けた東アジアでの歴史的事件だ。

 こういう映画を観ると、アメリカ社会で問題となっている銃規制と、国際社会における軍隊というものが、本質的に同じものであることを改めて思う。持ってしまうと手放すことができなくなる危険極まりない代物だということだ。

 本作のタイトルとなっている「タクシー運転手」は、英題のとおり単数なら、ソン・ガンホの演じたソウルからドイツ人ジャーナリスト(トーマス・クレッチマン)を運んできたタクシードライバーだろうが、僕の心に強く残ったのは、光州のタクシードライバーたちの作り手の描き方のほうだった。

 些かやりすぎとも言える終盤の見せ場のカーチェイスには賛否あるのだろうが、僕は最初にクレジットされた「実話を基にした再構成」の意味を敢えて明確に示すものとして、好意的に受け止めた。この映画は実話の再現ドラマなんかじゃないよ、というわけだ。

 本作は、あのとき光州で何が起こっていたかを表現するうえで、市民の心意気が尋常のものではなかったということを、ソウルから来たタクシードライバーに対して同じタクシードライバーの立ち位置で際立たせていた映画だと思うのだが、カーチェイスの場面は、そのことの集大成場面として設えているように感じた。先立たれた妻を含め何より家族が大事で、車内のバックミラーに家族三人の写真を吊り下げているソウルのタクシードライバーが、迷った挙句に光州へ引き返す切っ掛けにもなっていた握り飯に対して思い出していた“全羅道の米は美味いの握り飯”の場面といい、これぞ韓流だと快哉を挙げた。

 光州のタクシードライバーたちは、最初のほうで見せていた料金の収受への咎めの件から始まり、車の故障への対し方、自宅に招いての遇し方など、あのときの光州市民の心意気をあくまで象徴的にずっと示し続けていたように思う。そして、皆々が匿名の“市民”として立ち現われてきていたところに作り手の想いが込められているように感じた。

 エンドロールでは、ドイツ人ジャーナリストのユルゲン・ヒンツペーターの晩年の談話動画が流され、その後、ソウルで出会ったタクシードライバーを探し続けるも音信不通となったままなので、何とか再会を期したいと語っていたが、叶わなかったようだ。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
https://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/18120204/
 
by ヤマ

'18. 9.16. あたご劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>