『孤狼の血』
監督 白石和彌

  拙著に映画館を出て交差点に向かうお客さんが、格別その筋の人でもなさそうなのに、みんな肩で風を切りながら出てくるのを見て、ある種の感慨を抱いたことを覚えています。自分の部屋でヴィデオで観たあと、肩で風を切りながら玄関を出てくる人は、おそらくいないでしょう高知の自主上映からP18)と記して引用した、四十年前の学生時分に観た『県警対組織暴力』'75]を思い出させるような“昭和の香りの匂い立つ作品”で、実質的な昭和最後の年である63年を舞台にしていたのも、“昭和男の最期”に重ねていたのだろう。そのS63をリアルタイムで知っている僕の感覚からすると、至急呼び出しをポケベルの番号表示で見せてはいても、そんなポケベル時代よりも前の'60~'70年代にしか思えなかったが、平成の役者たちがよく健闘しているようには感じた。

 実録シリーズの魁である昭和映画のモニュメントとも言うべき『仁義なき戦い』を確かに想起させていたオープニングのナレーションに思わずワクワクしたのだが、観終えて肩で風を切るには至らずとも、かなり面白かった。日本で一番悪い奴らのとき以上に、昭和の香りを前面に押し出していたように思うが、舞台を広島にしたのはリスクにも繋がった気がしなくもない。同じ広島弁で喋らせるから『仁義なき戦い』の役者たちの台詞回しの凄みには、やはり及ばないことが浮き彫りになるし、五十子組長を演じた石橋蓮司に流石を感じつつも、山守の金子信雄の厭らしさのキャラ立ちをつい懐かしんでしまう。『県警対組織暴力』との比較で言えば、本作の一之瀬守孝(江口洋介)では、とうてい広谷賢次(松方弘樹)には及ばない気がしてならない。

 また、当時の東映映画との差で言えば、濡れ場の濃さでまるで及んでいないように思う。クラブ梨子のママを演じていた真木よう子にも、もう少し脂がのっていてほしく、些かパサつき感が漂っていたのが残念だった。薬剤師の桃子(阿部純子)ともども、大上刑事(役所広司)に美人局のようなことをやらされていたと話しながらも恩義を感じ惚れていたと思しき二人の女性の、どちらとも濡れ場がないなどということは、昭和の東映作品なら、あり得ないことのように思う。

 往年の秀作を想起させ、それには及ばない点を数々感じさせるにもかかわらず、非常に面白く観たように思う。とりもなおさずそれは、かつて少々食傷したりもしたこういうテイストの映画が、今ではすっかりなくなっていることの証でもあるのだろう。
 
by ヤマ

'18. 6. 2. TOHOシネマズ1



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