『光の雨』['01]
監督 高橋伴明

 十五年前に観たとき以上に迫って来る感じがあったのは、なぜだろう。若松監督の実録・連合赤軍 あさま山荘への道程<みち>['07]を観る前に観た十五年前と、その後の再見とによって対照ができたことが作用しているのかもしれない。よい機会だった。森恒夫の描き方がかなり異なっていたように感じる。実録と銘打ったことに相応しい『実録・連合赤軍』の描出以上に、本作のほうが観ていて気の悪くなる感じが強いような気がしたのは、劇中映画で森をモデルにした倉重鉄太郎役を務める俳優を演じることで倉重を表現していた山本太郎の演技力の賜物だったように思う。今観ると、後に彼が政治の世界に向かうようになったことの動機の一つに、本作への出演ということがあったのではないだろうかと思ったりした。

 当夜いっしょに観賞した、彼らと同時代を過ごし、かつて日大全共闘の闘士だったという十歳年長の方によれば、あの時代を「光と影」で表せば、自分は一番明るい光輝く極であったと思うし、『光の雨』に描かれているのは対極の影になるそうだ。だから、対極の自分に最も暗い影を分かるか? 共感するか? 反発するか? と問われても、頭(思想)から入った彼らと自分とではそもそもが違うので、一言にするなら「私にもわかりませ~ん!」となるらしい。

 加えて語っておいでた私等は個人の決意と主体性のみに基づいて参加し、来るものは拒まず、去る者は追わず、安直に言えば納得すれば身を掛けて闘うし、納得できなけれなとんずら、ふける(逃げる)、主義者に言わせればいい加減の極みだが、そのいい加減を許容する緩さ、それが私等の主義だったから。との言葉が印象深かった。奇しくも実録・連合赤軍』の日誌に僕が組織的一体感なり合一を求め“温度差”を問題視する価値観に対する嫌悪感が僕のなかにあって“緩やかな連携”こそが大事だとかねがね思っていると記していることと重なるものを感じたのだった。

 そのうえで、連赤ほどのところまでには至らずとも、全共闘の本来を知らないままに加わってきた“主義者”たちがヘンに純粋に問い掛けを重ねていくと、その延長には連赤があるというのは分からないでもないと話していたことが心に残っている。地下鉄サリン事件後である '01年作品の『光の雨』で言及されていたオウム教団に限らず、その“主義者”の問題は、本来的な宗教においても通じてくるものだと思うというような声も上がって、教会で観る映画後の忌憚なき意見交換のありように大いに刺激を受けた。

 また、十五年前に観たときも今回も引っかかったまま今一つピンとこなかった監督失踪エピソードについても、大きな示唆をもらった。あれは早大川口君事件を指しているのではないかとのことだった。映画監督ではないけれども、変名で精力的に活動している某文化人に対して総括を迫っているということのようだ。革命の 核角飛車取り 西瓜売り 誰何するのに 返事をせぬかの文学部の意味は、それだったのかと得心できた。学生運動に耽って早稲田の二文を中退(除籍だとか)したらしい高橋監督は、このエピソードを入れることでむしろ攻めていたのだと知らされ、大いに観直した。

 '76年に早大に入学した僕は '72年の川口君事件を全く知らなかったわけではないのに、二回観ても二回とも想起するに至らなかったのは、その事件に関して“返事をせぬかと誰何される人物”の存在を認識していなかったからだろう。本作において映画監督が出版社を通じて最初に受け取る葉書のあて名が職業名としての監督名で、二度目に受け取るのが、メイキング編の監督として参加した阿南(萩原聖人)にプロデューサー(塩見三省)が監督の本名だと明かした名前宛てだったのは、まさしくそういう意味だったのかと腑に落ちた。

 それによって、十五年前の映画日誌劇中の映画監督(大杉漣)が、自身にこの作品を撮る資格がないと言わんばかりに失踪してしまう姿には、高橋監督の自己投影が窺われるように感じた。そこには、ある種の誠実さと同時に、未然に自身に向けられる矛先をそらす周到さが潜んでおり、そのことによって尚のこと、あの事件およびあの時代が全共闘世代に残している屈託というものを窺わせ、重く苦しいものを感じさせる。と記したものとは少々異なる相貌が浮かび上がってきて、すっかり唸らされた。

 そして、映画としての解釈は無論そのどちらともがあって然るべきだと思うが、どちらに立ったにしてもそのことによって尚のこと、あの事件およびあの時代が全共闘世代に残している屈託というものを窺わせ、重く苦しいものを感じさせる。となることに変わりないことに心打たれた。

 
by ヤマ

'18. 2.15. 高知伊勢崎キリスト教会



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