『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(Kubo And The Two Strings)
監督 トラヴィス・ナイト

 太郎、次郎ならともかく、なぜクボという名前だったのだろう。末は公方にでもなったのかもしれない、などと思った。それはともかく、なぜアメリカ人が…と思うような和の心の描出に驚いた。いまや本家たる大和の国のほうではアメリカナイズによって駆逐されつつある“水に流して良しとする”エンディングに就中、唸らされた。水に流すのは、作中で繰り返し印象づけられていた灯籠だけではないのだ。

 改めて覆水盆に返らずと言うまでもなく、どうしたところで過去の上書きはできないのだし、特段、改心や反省を見せたわけではなくても無害化されれば、水に流して未来に向かうメンタリティーを讃えているように感じた。なにかあらば「訴えてやる!」社会では、確かに考えられないことに違いない。先月観たレバノン映画判決、ふたつの希望でも、それこそが微かな希望であることを訴えつつも、それがいかに難しいことなのかを描いているように感じたことを思い出した。

 それゆえに、日本の風景や風習を借りてきているのだろう。クボの母親というのは、なんだかかぐや姫のような話だったし、陰陽師の影や桃太郎の影も差していたような気がする。その一方で、サルとクボの旅立ちの始まりは、砂浜に自由の女神像が横たわっていた猿の惑星['68]のラストのようでもあり、なかなか意味深長な運びが、観る側をいろいろ刺激してきてくれて愉しかった。

 さればこそ本作は、外国作品であることが前面に出て来なければ、取り分け日本では、その真の味わいが得られないに違いないはずなのに、吹替え版で上映するなど論外だと思った。ましてやオリジナルは、サル(声:田中敦子)にシャーリーズ・セロン、クワガタ(声:ピエール瀧)にマシュー・マコノヒー、闇の姉妹(声:川栄李奈)にルーニー・マーラー、月の帝(声:羽佐間道夫)にレイフ・ファインズを充てているのだから、仮にも映画ファンなら、吹替え版など到底考えられない選択だと唖然とした。

 おまけに、アカデミー視覚効果賞にもノミネートされた“高精細で緻密な映像による驚異のアニメ表現と圧倒的映像美”が売りの作品なのに、会場スケールに見合った機材で映写をしていないことから、画質が本来のものではないままの上映になっていた気がする。いろいろ事情もあるのだろうけど、何をやっているのだろうという気がした。様々な意味で、何とも残念な上映会だった。もっとコンパクトな会場でやればよかったのにと、返す返すも惜しまれる。

 
by ヤマ

'18.12.19. 美術館ホール  



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