『銃』
監督 武正晴

 あのようなアパート住まいのなかで組んでいたオーディオシステムの大柄な感じやら、やたらと煙草を吹かす在り様が、今どきの学生のようには見えず、四十年前の自分たちと近しいものを感じつつも、僕らの頃にはない言葉の使い方に妙に引き込まれながら観ているうちに、「銃」が銃に留まらないシンボリックな意味合いを持つように思えてきて、大いに感心した。

 ヨシカワユウコ(広瀬アリス)が指摘していたように、西川トオル(村上虹郎)は、自身についてアイデンティティの核を欠いているように感じているのだろう。幼い時分に親から棄てられたトオルほどに厳しい境遇ではなくても、若い時分には誰しもにありがちなことではあるのだけれども、その危機がイニシエーションとして糧になっていくか、破綻に結びつくかは、確かに紙一重のところがあるように思う。

 若者のその紙一重のところの鍵を握っているものこそが「銃」だという気がした。破格のものを手にしてしまうことの危うさは、手にしてしまった以上、逃れられなくなるものなのかもしれない。強大な権力や財力にも、似たようなリスクがあるような気がする。となれば、事は若者におけるアイデンティティ不安の問題に留まらない。

 行きずりの一夜を過ごしたトオルと迎えた朝に、先に起きて食事を構えるばかりか、男が脱ぎ捨ててあったと思われるシャツとズボンをきちんと畳んで枕元に添えていたトースト女(日南響子)のみならず、トオル、ユウコともに、妙な折り目正しさと不埒が同居していて、なかなか気になる人物造形だった。中村文則の原作は未読なのだが、映画のなかでは姿を見せないままだった、トースト女の言っていた彼氏は、本当に存在していたのだろうか。原作ではどうなっていたのか確かめてみたくなったりした。

 また、願った関係性の得られないセックスをしてしまったことになって、「すり減る感じがする」と言っていたユウコの言葉が耳に残った。分かるような気がすると応えていたトオルに、少しムキになって「男の人には絶対にわからないと思う」と返していた遣り取りは、原作者もしくは映画の作り手の実体験ではないのかと思ったのだが、僕に響いてきたのは、ユウコが何だか損したように感じているらしい感覚の現実感だった。

 無自覚に自身の“女の性の商品化”を内在させている感覚を鮮やかに掬い取っている台詞だったような気がするとともに、商品化に伴う“性の貧困”というようなことを想起した。素朴な性の悦びから若者たちを遠ざけているものの根底に、この過度に損得勘定に支配された性意識があるような気がしてならない。
by ヤマ

'18.12.10. ウィークエンドキネマM



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