『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』(Maudie)
監督 アシュリング・ウォルシュ

 先にシェイプ・オブ・ウォーターを観ていたからかもしれないが、言葉を知らないとまでは言えずとも、まことに粗野で無教養なエベレット(イーサン・ホーク)が魚行商人ではなく、半魚人のように思えて笑えた。

 モード(サリー・ホーキンス)もまた、イライザのように喋れないわけではないが、決してコミュニケーションに長けているとは言えないパーソナリティであることが容易に伝わってくる描かれ方だったから、猶更のことだ。そしたら、本当に『シェイプ・オブ・ウォーター』のような展開になって魂消た。なかなか珍妙でユーモラスな夫婦関係であったが、最初に目を惹いたのは、モードがエベレットの出した求人広告に飛びついて、強引に家政婦に雇ってもらうよう試験雇用にこぎつけながら、指示を出してもらえないで戸惑っている場面だった。

 リウマチによる身体障碍を幼い時分から負っていたなかで、小さい頃からずっと世話してくれる人の指示に従う生活しかしていなくて、自分が自由に振舞えるのは好きな絵を描いている画面のなかだけだったのだろう。技術的には鶏を絞めてスープを作ることまでできるのに、自分で段取りして家事を行うことができずに、指示を出してくれと訴えていた。

 他方「ボスは俺で、次は犬、その次は鶏で、お前はその下だ」と言うエベレットにしても、決して悪意からそう言っているのではなく、孤児院育ちの無学無知ゆえであって、雇い入れとはそういうものだと彼自身が扱われてきて学習しているにすぎなかったことが次第に明らかになってくるプロセスが微笑ましく、ユーモラスながらも哀しくもあった。

 しかし、『シェイプ・オブ・ウォーター』のイライザがそうであったように、モードは、表面的な部分に囚われがちな多くの人々と異なり、卓抜した直観力でエベレットの善良さを看破したのだろう。同じ小言や指示であっても決して厄介者扱いされているのではないことが、モードにとっては何よりも救われた部分だったような気がする。二人が奇妙な共同生活を重ねるなかで、それまで知らなかったことを学習し、互いの関係を育み成長していく姿に納得感があって、とても美しかった。

 それはともかく、ニクソンが副大統領だった時分の5ドルというのは、今の貨幣価値では、いくらくらいになるのだろう。ちょうど先ごろ観たばかりの日本映画この広い空のどこかに['54]と時代的には重なるが、それからすれば10倍くらいになるけれど、日本とアメリカではまた事情が異なりそうだ。感じとしては千円くらいのような気がした。

 最後に晩年の生活ぶりが記録映像で映し出されたが、つましい生活ぶりは終生変わることがなかったようだ。モードが生きるなかで求めてきたものは、彼女の描いた絵と同様に、非常に素朴でシンプルなものだったことが鮮やかに描出されている作品で、少なからぬ感銘を受けた。もう関係者が誰も生存していないからか、ヘンに綺麗事にしないで済んでいることが明らかな描き方が功を奏していたように思う。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965769328&owner_id=3700229
 
by ヤマ

'18. 7.16. ウィークエンドキネマM



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