『アメリカン・スナイパー』(American Sniper)
監督 クリント・イーストウッド


 弔旗を思わせるような黒地に無音のエンドロールを観ながら、ネイヴィ・シールズで“伝説”の呼称を与えられる名狙撃手だったクリス・カイルが亡くなったのは、この映画の製作中だったのではないかと思った。

 若い時分に妻とともに観た覚えのある『愛と青春の旅だち』['82]を思わせるようなクリス(ブラッドリー・クーパー)とタヤ(シエナ・ミラー)の出会いから、ディア・ハンター['78]の偲ばれる狩猟と結婚式、そして戦争で心を蝕まれる姿が描かれ、『ハート・ロッカー』['08]のような戦場依存が描かれるなかで、スターリングラード['01]を思わせるスナイパー対決が浮き彫りにされ、商業映画としても実に隙のない仕立てで構築されていたドラマが、終盤になって俄然、趣を変えたように感じられたからだ。

 それにしても、アルカイダから賞金首まで掛けられていたらしいクリスが、事もあろうにアラブのテロリストではなく、自身が辛くも抜け出た戦場後遺症への介助を施そうとしたらしい自国の元兵士の手で抹殺されてしまう顛末を観ながら、自国民にかほどの苦難と犠牲を強いて尚、維持すべき戦闘というものの大義などあろうものかという気がしてならなかった。

 クリスの場合、4回の戦場派遣で約1000日とのことだったから、実日数で3年に満たない年月で被り刻まれたものだが、退役後の彼が出会っていた心身の傷ついた元兵士の従軍期間は、もっと短いものとして描かれていたように思う。その短期間で被ったことの取り返しのつかなさは知らぬことではないものの、障碍を負って居場所が得られぬままに、射撃に無聊を託っていると思しき生々しい姿を眼前にすると、やはり大量の戦死者の居並ぶ墓標など以上に、慄然とさせられる。

 30年前に綴ったプラトーン』['87]の映画日誌に記したように、自身やその子弟が決して最前線に赴きはしない「エスタブリッシュメントの持つ権力の傲慢さと醜怪さ」が求める面子や利権の犠牲になるのは、つねに若い貧困階層や有色人種の青年兵士なのだと改めて思わずにいられなかった。アラブ側では、若い青年兵士どころか女子供まで自爆テロに駆り立てるに至っている。

 それらを観るにつけ、第二次大戦後のアメリカが世界中に残した戦禍の傷跡は、大量消費に基づく経済成長を追求する産業社会による世界中の環境破壊ともども、地球規模で修復し難い禍根となっている気がしてならない。

 戦争というものは、古今東西を通じて、エスタブリッシュメントの面子か利権のためにしか行われなかったという厳然たる事実を、民衆が歴史から学ぶ世界などというものは、未来永劫に訪れないのだろうか。




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by ヤマ

'15. 2.23. TOHOシネマズ6



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