『白い帽子の女』(By The Sea)
監督 アンジェリーナ・ジョリー・ピット

 高校時分の映画部の部長だった同窓生から、どう観るか問われて託されたDVDで観た。メラニー・ロランの変わらぬ脱ぎっぷりの良さに感心し、ナオミ・ワッツ、シャーリーズ・セロン、ニコール・キッドマンに倣い、変わらぬ姿勢で臨んでほしいなということが最初に浮かんだのだが、それだと往年の部長から叱られそうだと笑いが漏れた。

 だからというわけでもないのだが、今の時点で観ると脚本・監督のアンジーは、当時、何を思って本作を夫のブラピと演じようとしたのだろうとも思わずにいられなかった。長年の事実婚のなかで子供ももうけていたブラピと正式に結婚し、2年後に離婚した間の年に、夫とともに製作をも担って撮り上げた作品で、夫婦間の危機を描いていただけに、あれこれ触発されたのだ。実のところは、長年の事実婚から正式に結婚をしたこと自体が本作に描かれていたような夫婦間の倦怠と危機の表れだったのではないかという気がした。

 初めのうちは少々シェルタリング・スカイ['90]を想わせる倦怠夫婦のように感じたのだが、どうもそうではない何かがあると思っていたら、互いが互いに倦怠しているのではないなかでの噛み合わなさが浮かんできて、妙な拗れをもたらしているように見えてきた。相互に少なからぬ執着を抱いていると思しき夫婦でありながら、その関係をこじらせているものが何なのか、大いに気になってくる運び方がうまくなされていたように思う。作中で、流産というような子供にまつわる出来事に委ねられていたものが、実際のピット夫妻の間では何だったのだろう。映画を通じて僕が感じたのは、書けなくなった作家である夫ローランド(ブラッド・ピット)が下り坂のダンサーである情緒不安定な妻ヴァネッサ(アンジェリーナ・ジョリー)に対して見せる寛容というものが、愛情からではなく鈍感さから来ているものだと妻には感じられてしまうようになっていることに、自分に対しても夫に対しても苛立っていると映ってくるような夫婦関係だった。

 相互への想いにしても行為にしても噛み合わなくなってきていた夫婦に対して、久しぶりに噛み合う土俵となるものを提供したのが、隣室の新婚カップル(メラニー・ロラン&メルヴィル・プポー)の覗き見という背徳的な共同作業のもたらすスリリングさだったように思う。自ずと付随してきていた性行為の窃視という点では、先ごろ四十年ぶりに再見した午後の曳航['76]を僕に思わせる作品でもあった。

 当初は夫を試すつもりでの「彼女としたいんじゃないの」という挑発だったはずのものが、自分のほうがフランソワ(メルヴィル・プポー)を誘惑する行動へと進展したことの背後には、窃視しているなかで味わった背徳性の蜜の深みにヴァネッサが浸食されてしまったという側面と、夫への試しとしては“若妻レア(メラニー・ロラン)への浮気心”以上に強烈な“妻の浮気”への夫の向かい方にまで踏み進んでいった側面との両面があるように感じた。ヴァネッサには、自分がフランソワを誘惑する姿を夫が覗き見ることに対する確信のようなものがあった気がしてならない。そこには、倦怠に留まらない苛立ちに対する破壊衝動のようなものも、あったのかもしれない。

 そのうえで、顛末としては覗かれていた側の訳ありカップルの強靭さが小説家夫妻の危機を救う形になっていたのが印象深かったが、実際のピット夫妻には、そのようなものが訪れなかったということなのだろう。

 
by ヤマ

'18. 1.14. DVD観賞



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