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『エルネスト』 | |||||
監督 阪本順治
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エルネスト・チェ・ゲバラ少佐が広島の原爆資料館を訪ねる場面から始まる作品を、奇しくもNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が今年のノーベル平和賞に決定したと発表された日に観た。そして、二年前に『海と大陸』を観たときの映画日誌に「かつては望ましきものだったはずの理想主義という言葉が、今やすっかり侮蔑的に使われるようになっている現在」と綴ったことを思い出した。冒頭のゲバラの言葉、加えて、最後のもう一人のエルネストの言葉によって重ねられていた理想主義についての想いは、理想主義という言葉を“綺麗事”などと貶めた意味合いでしか使わなくなってしまった今現在に対する作り手の思いであり、悲嘆なのだろう。 かつては誉め言葉として使うことが大勢だったはずの“理想”が貶し言葉として使われるほうに逆転し始めたのは、同時代を生きてきた僕自身の感覚では、やはりバブル経済期だという気がする。そして、勝ち組負け組という下品極まりない表現(卑猥語とされる言葉などよりもよっぽど恥ずかしい言葉だと思う)が人口に膾炙するに至った平成不況の時代を経て、事態は決定的になっているように思う。世相が端的に現れる選挙においても最早、勝ち馬に乗ることが投票者においてさえ大方の傾向になってしまい、人気投票以下の競輪競馬観戦に等しい社会的装置に成り下がってきている気がしてならない。AKBの人気投票を“総選挙”などと命名した不見識に僕が顰蹙を覚えたのはもう何年も前のことだが、今にして思うとむしろ近未来の衆院総選挙を先取りしていたのかもしれない。 また、チェ(フアン・ミゲル・バレロ・アコスタ)とフィデル(ロベルト・エスピノーサ・セバスコ)のカリスマ性を見事に現出していたことにも感心させられた。二人の言葉とエピソードが実にカッコよく、素敵だった。そして、十四歳の年を隔てて同じ1967年に亡くなったエルネスト・チェとエルネスト・メディコの二人のエルネストの重なり具合が印象深かった。フレディ・前村の人物造形には、若き日のチェ・ゲバラを描いた『モーターサイクル・ダイアリーズ』(監督 ウォルター・サレス)が間違いなく影響しているような気がした。 ところで、劇中に挿入された広島の平和公園で献花する老人を撮った写真は、実際にゲバラが撮って遺している写真だったのだろうか。また、没後50年の慰霊に墓碑を訪れていた医学を共に学んだ旧友たちのなかに自分自身を演じていた者がいたのだろうか。エンドロールのクレジットには“himself”の文字は出なかったように思うが、見落としたかもしれない。 それにしても、オダギリジョーが見事だった。もう四十路にあるはずなのに、半世紀前に二十五歳で亡くなった日系ボリビア人を演じて、まるで違和感のない若々しさとスペイン語だったように思う。大したものだ。 | |||||
by ヤマ '17.10. 6. TOHOシネマズ4 | |||||
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