『湯を沸かすほどの熱い愛』
監督 中野量太

 映画でないと許されないアッと驚くラストに、映画というものはこうでなければいけないと思わず笑みが零れてきた。読経は録音テープだし、霊柩車はレンタルらしく私立探偵の滝本(駿河太郎)が運転していたし、葬儀の手作り感を演出しているにしても、妙にヘンだなと思っていたら、破格の女性だった双葉(宮澤りえ)に相応しい破格の葬送が待っていた。「なんか面倒なことに巻き込んでしまったね」「いえ、全然問題ないです」という河原での会話は、これだったのかと痛快な気分になった。

 彼女自身が幼い時分に母親から捨てられた辛い過去を負っていればこそ、そして、強く立ち向かって生きて来ざるを得なかったからこそ、との背景が利いていた。幸野一浩(オダギリジョー)と暮らしていたのも、彼を放っておけなかったというよりも幸の湯には母に捨てられた安澄(杉咲花)がいたからのような気がした。そして改めて、人が人に生きる力を与えることに優る偉業はないのだと強い感銘を受けた。

 親の愛を得られない子供が増え、人の命が自身のものも含めて余りにも軽んじられる傾向が強くなってきていると感じられる今の時代に対する作り手の強い思いが窺えた気がする。双葉から標を貰った向井拓海(松坂桃李)が安澄(杉咲花)から幸野家の事情を聞かされ、「凄い人だ」と呟いていた彼女の漏らす「死にたくない…生きたい…」との声に打たれた。

 ピラミッド、そう来るかとの二度遣いにも感心。木目模様の利いた絶妙にちっこいピラミッドも悪くないと思ったのに、「こんなスケールのちっさい男に後を任せたら安心して死ねやしない」と伝えさせた台詞に何かあると思っていたら、こうして「死にたくない…生きたい…」と言わせるのかとすっかりやられてしまった。

 脚本が実によく練られていたように思う。小学生の片瀬鮎子(伊東蒼)から訊ねられて「とっても心配だから」と答えた双葉に対して、母親に去られた我が身を思う鮎子の複雑な表情を映し出すばかりか、後の場面で安澄が酒巻君江(篠原ゆき子)を待つ姿に重ねることで、その胸中を映し出すとともに、安澄がすっかり双葉の薫陶を受け継いでいることを映し出していた。また、滝本の娘の差し出す花の赤もラストの煙の赤も、安澄の勝負下着の水色も、よく利いていた。脚本・監督を担った中野量太の作品は初めて観たが、他の作品も観てみたい。

 場面的には、裕福な家庭環境にありながら、家族愛に飢えていたと思しき向井拓海を双葉が叱咤し抱き包んだパーキングのシーンが好きだ。松坂桃李は、どんどんいい役者になってきているように思う。大阪ハムレットで松坂慶子が演じたオカンも素晴らしかったが、宮澤りえの“お母ちゃん”も大したものだった。美人女優で名を馳せた彼女たちの天晴れな役者道が何とも嬉しい。





参照テクスト:ケイケイさん掲示板での談義編集採録


推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20161112
推薦テクスト:「ライ麦畑でぴ~ひゃらら」より
http://satumaimo-satoimo.blog.jp/archives/13091393.html
推薦テクスト:「お楽しみは映画 から」より
http://takatonbinosu.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-41f1.html
 
by ヤマ

'17. 1. 8. TOHOシネマズ8



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