『湯を沸かすほどの熱い愛』をめぐって
映画通信」:ケイケイさん
ミノさん
ヤマ(管理人)


 【ケイケイさん掲示板】2017年 1月10日(火)00時19分~ 1月26日(木)21時26分

ヤマ(管理人)
 ケイケイさん、こんにちは。
 映画日記、読みましたよ。全てきちんと整理できて、アンサーされています。散りばめた伏線も全て回収していて、本当に感心しました。とお書きですよねー。
 僕もです。脚本が実によく練られていたように思います。一部において、不興も買っているらしいラストの破格ですが、あの破格があってこその本作なのに、せっかくの醍醐味が口に合わないとは気の毒ですね。

(ケイケイさん)
 ラストは、まぁファンタジーと言うか(笑)。双葉は、現実にはいない人ですよ。それをどうやって、リアルに見せるかというのが、作り手の腕前ですよね。私も気にならなかった口です。

ヤマ(管理人)
 一緒に御覧になったらしいミノさんは、ブログある種の聖女でありながらも、全く嘘くさくなく、もしかしたら、そのへんにもこういう人いてくれるかな?と思わせてくれると書いておいででしたね。僕は、まさに奇特な、現実にだっていないわけではない人のように感じました。

(ケイケイさん)
 確かにレアですが、全くいないわけじゃないと思います。

ヤマ(管理人)
 いつもながら、登場人物の情感を細やかに追っておいでの観賞文は、とっても読み応えがありますね~。読み取った背景を含め、ほぼ全面的に同感です。

(ケイケイさん)
 ありがとうございます(*^_^*)。

ヤマ(管理人)
 ひとつだけ異論がありまして、松阪桃李のヒッチハイカーは、私はいらないプロットだと思いました。あそこまで、スーパー母ちゃんにすることはなかったと思います。というとこです。僕は、あのラストの破格に見合うだけの「凄い人だ」を造形する必要があってのスーパー母ちゃんだと思うし、パーキングの場面が好きなので、ここは擁護です(笑)。

(ケイケイさん)
 パーキングまではOKなんですけどねー。『6才のボクが大人になるまで』に、似たプロットがあったでしょう? ウェイターだった人が、パトリシア・アークエットの言葉にヒントを得て勉強して、立派になった時に再会して、子供たちにあなたたちのお母さんは正しいから、言う事を聞きなさいと言ったの、覚えています?

ヤマ(管理人)
 拙日誌オリヴィアの助言で一念発起して就学の道を切り開き、人生への希望を得ていた移民の青年と記してある件ですね、覚えてますよ。

(ケイケイさん)
 双葉は病で余命いくばくもないから、長いスパンは無理なんですが、なら、今北海道にいます、親と話しました、みたいな、メールや動画を送るというのはどうですか? お風呂屋に勤めるより、ずっと座りがいいように、私は思うんですけど。

ヤマ(管理人)
 でも、彼を欠いては、例の二つ目のピラミッドの台が足らなくなるし、一浩だけでなく風呂焚きに手慣れた者がもう一人いてこその赤い煙だという気がしませんか?


-------ピラミッドは、アホに過ぎたのか(笑)-------

(ケイケイさん)
 実は私、あのピラミッド、大嫌いなんですね(笑)。どこまでアホやねん、この夫はと。

ヤマ(管理人)
 あらま。そのアホさがええですやん。却って、無い知恵絞ったんやなぁって(笑)。

(ケイケイさん)
 それは男の感覚やね(きっぱり)。無い知恵の絞りどころが違います(またきっぱり)。

ヤマ(管理人)
 多分そこんとこが双葉の心を打ったのだと思いますよ、ピラミッドの出来やのうて。

(ケイケイさん)
 それはそうですね。だから言ったじゃないですか。双葉は現実にはいない人だって(笑)。

ヤマ(管理人)
 それで言えば、あの歳で大きなお腹を抱えてた大阪ハムレットの房子オカンも、現実には、なかなかいそうにない人だったね。でも、映画はそれでいいんですよ。ってか、映画ってそういうもんでしょ(笑)。

(ケイケイさん)
 実年齢で言えば、あのとき房子は50歳くらいですから。
 でもあのオカン、赤ちゃん産めそうだったですよね(笑)。そう思わせるのが演出と役者の力ですね。

(ケイケイさん)
 で、ピラミッドの件ですが、私が双葉なら、あんなもん見せられても、余計死んだ後が心配になりますわ。まぁ双葉とは気持ちが通じていたから、いいんですが。

ヤマ(管理人)
 そうそう。そういうことだと思います。こんなスケールのちっさい男に後を任せたら安心して死ねやしないと、自分が死んだ後はしっかりしてくれ!と伝えたことに対して、一所懸命に考えてくれたことが嬉しかったんだよ、きっと。

(ケイケイさん)
 しかしですね、死がいつ訪れるとも知れない時ですよ。男のバカさを愛でられるかなぁと。私なら無理ですけどね。健康じゃないと、こんなものは愛でられませんから(笑)。

ヤマ(管理人)
 双葉は一浩のバカさを愛でたんではないと思いますよ。拙日誌にも書いたように元々幸野一浩(オダギリジョー)と暮らしていたのも、彼を放っておけなかったというよりも幸の湯には母に捨てられた安澄(杉咲花)がいたからのようだし、この子供じみたピラミッドに対しても、一浩の余りと言えば余りな馬鹿アイデアに皆が付き合ってくれたことが彼女の心を最も揺さぶったのでしょうから。

(ケイケイさん)
 あぁ、なるほど。夫に対しても母親だったんでしょうね。でもそういう関係性が、私はあんまり好きじゃないです。
 私的に邦画のベストから落としたのも、この夫婦の関係性が、あんまり好きじゃないからです。
 心配なくせに妻の見舞いに行けない、妻の願いを叶えてやれない代償があの子供じみたピラミッド、本当に自分の子供かどうかわからない子の養育のため、妻子を犠牲にしている様子とか、あまりにアホなのですが、この夫は現実にたくさんいそうで、とても悲しいですね、私的には(笑)。

ヤマ(管理人)
 一浩がアホなことは十分わかってるんだけど、先に書いたように一浩の余りと言えば余りな馬鹿アイデアに皆が付き合ってくれたことが彼女の心を最も揺さぶったのだから、馬鹿アイデアのほうが利く気がするなぁ、映画的には(笑)。

(ケイケイさん)
 そうそう、映画的には、あの夫は座りがいいですよ。オダギリジョーも愛嬌ある好演でしたし。私はこの手の男は嫌いですが、ぎりぎり好感持てるくらいにまで、引き上げてましたから。


-------母なる猛々しさについて-------

ヤマ(管理人)
 不登校になりそうな娘を、ここで負けたら、ずっと負け続けると、娘の布団を引っぺがし、猛烈な勢いで叱咤して学校に行かせる。今この風景が目の前に現れたら、私は双葉のようには出来ない。しばらく休みなさいと、きっと言うとのことですが、どっちが正しいの話ではないように僕は思います。どのみち人の選択に予め定まった正解など、ないのが人の生なのだと思ってます。正解かどうかではなく、真摯に臨めるかどうかの問題で、強く立ち向かって生きて来た双葉には、安澄に真摯に向かえば、それしかなくなるのであり、夢中で子育てに従事してきた時間を過ぎ、人の精神の問題には様々な側面があることを職業現場でも実感し、知見を広めてしまった今だと、真摯に向かうことが単純に強さを求める厳しさとはならないのも、ある意味、必然だろうと、拝読して思いましたよ、僕は。

(ケイケイさん)
 うん、そうですね。 何が正しいではないですね。親と子の素養の問題もあるし。
 実感として、あれが正しく映ったのは、懐かしさですかねぇ。

ヤマ(管理人)
 ミノさんという現役者の強い支持が、隣の席であったことも作用しているのかもしれませんね。

(ケイケイさん)
 う~ん、それは多分ないです。ミノさんとは、観た後に話したしね。多分一人で観たほうが、抱えてしまう分、もっと強く心に残ったと思います。
 私は母親には、優しさや包容力と共に、ある種猛々しさは必要だと思っているんです。それは、ヤマさんが仰るように、真摯さに通じることだと思うんです。

ヤマ(管理人)
 同感ですよ。そのような猛々しさを大概の母親は持ってますしね。稀に不遜にもただ獰猛なだけの母親もいるようですが(笑)。

(ケイケイさん)
 稀ではないみたいですが(笑)。多分、不器用なんですね、愛情の出し方が。でももし、そこに見栄や体裁ではなく、本当に子を思う気持ちがあれば、子供はいつか親を理解出来ると思っています。
 私が正しく感じたのは、双葉がまぶしかったからだと思います。親になれば一生親ですが、子育てはもう完璧に終わったなぁと、猛々しさが抜けてしまった自分に対して、寂寥感があったからだと思いますね。

ヤマ(管理人)
 なるほどね。それも分かるような気がします。
 猛々しく子供を追い立て、心配だからと、家の前で娘の帰りを待つ双葉。あぁ何ていいお母さんだと、その姿にまた泣けてきます。とお書きの場面は、作り手も、とっても大事にしていたシーンですよね。拙日誌でも触れましたが、僕は、その双葉の姿をじっと見ていた鮎子の姿に痺れました。そして、今度は安澄が双葉と同じ場所に立って待っている場面に、グッときました。遊び心の部分も含めて、本当によくできた脚本だったと思います。

(ケイケイさん)
 鮎子ちゃん、双葉に縁があって良かったですね。このへんは映画を飛び越して、そういう感情に駆られました。双葉が「鮎子」と呼び捨てにし出した時、あぁお母さんだなぁと、また涙ぐみましたよ(笑)。

ヤマ(管理人)
 鮎子は、きっといいお母ちゃんに将来、なれるでしょうね。

(ケイケイさん)
 あずみもねヽ(^o^)丿

ヤマ(管理人)
 ところで、猛々しさという点で、ケイケイさんは、安澄の布団を剥いで「学校に行け」と追い立てた双葉お母ちゃんと、『大阪ハムレット』のヘタレ義弟(岸部一徳)が家族としてまとまり馴染みたい思いから、なけなしの金で一家全員分の揃いのTシャツを買って来たことに対して、パチもんやと嘲笑して着たくないと言った子供らにその頬を張ってまで怒った房子オカンの、どちらに軍配をあげますか?(笑)

(ケイケイさん)
 もちろん松阪慶子!
 登校拒否より、人を侮辱するほうが、私は許せません。

ヤマ(管理人)
 ですよねー。僕も同感。お尻もお腹も双葉より大きかった房子オカンは、双葉以上に破格の母でした。房子もけっこう厳しい生い立ちだったような気がします。

(ケイケイさん)
 そうですねー。
 厳しさを糧にするのは、なかなか難しいもんですが。これ実感です(笑)。

(ミノさん)
 とても寒い毎日が続いてますね。少しご無沙汰しておりました。暮れに、いろいろとありまして、パソコンは全くさわらない日々でしたが、久々に電源を入れてみました。

(ケイケイさん)
 ミノさん、こんばんは。寒いのも一段落、明日からは少し暖かいみたいですね。

(ミノさん)
 「湯沸かし」談義、ヤマさんも作品をご覧になり、レビューを書かれて、こちらで沸騰が続いていたのですね・・

(ケイケイさん)
 作品に力があると、お話も弾みますね。

ヤマ(管理人)
 とてもとても沸騰まではいかない程のいい湯が沸いておりました(笑)。

(ミノさん)
 ちょっと、あまりにも時間がたちすぎていてすみません。

ヤマ(管理人)
 とんでもありません。最も近い御家族のお見送りのなか、とてもパソコンどころじゃありませんもの。

(ミノさん)
 しかし、ヤマさんのレビュー&この映画を再確認し、また自身が、家族を見送った経験を最近持ったのもあわせ、あの映画に対して、「あ~そうか」とかなり、違う見え方(特にラスト)を発見しています。

ヤマ(管理人)
 時間を置いて再発見があったりするのが映画鑑賞の大きな妙味のひとつですよね。

(ケイケイさん)
 ラスト、あちこちで賛否両論みたいですね。私的には、ありだと思いました。

(ミノさん)
 いや~見てたのに、全然そういう風には見てなかったな・・なんでやろ・・私って、映画の見方そのものが、偏ってるのかも。(笑)。

(ケイケイさん)
 いやいや、この映画、けっこう凝っていたらしいです。知らんけど。(←関西人の鉄板)。ツッコミを入れる間もなく、グイグイ引っ張られていったので、ちょっと?なシーンは忘れてしまいました(笑)。

(ミノさん)
 というか、あのラストって、私、ほとんど、エンディングロール的な見方しかしてなかったのかしら。監督の意図、全然くんでないし(笑)。

ヤマ(管理人)
 双葉の亡骸を幸の湯で焼却している場面を直接映し出しているわけではありませんから、そのようには受取っていない観客は他にもたくさんおいでるように思いますよ。本能寺ホテル』の拙日誌にてできるだけ観る側に想像させる余地というものを奪わないよう努めている感じが伝わってきたと取り立てて褒めそやしているのも、まさに近頃はやたらと説明過剰な映画が横行している」からでして、そういう映画に馴らされることの弊害として、観る側が場面として映し出されないものを見落としやすくなるという悪循環が起こってきているのでしょう。本作の作り手ではない今の映画の主流となっている送り手の問題のほうが大きい気がします。
 実は僕、あのラストに対して半ば感情的とも思える否定をしている方々について、その方たちは作品鑑賞中はミノさんと同じく気付けていなかったのではないかと勘繰ってます。後で人から知らされて地団太を踏むというか癪に障り、そういう気持ちにさせられたから、八つ当たり的にラストの描き方が嫌いで仕方なくなっている気がしてならないんですよ(笑)。

(ケイケイさん)
 いや~、くむくまないは、観る人の勝手でOKかと(笑)。二人で心揺さぶられながら、泣きながら観たんですから、それを知ったら、監督さんは喜んでくれますよ。

(ミノさん)
 まあ、こんな私ですが、今年もいい映画をちょこっと、観ていこうと思っています。数少ないですが、観た映画のお話をまた、楽しみにしております。

(ケイケイさん)
 こちらこそ、待ってまーす。鑑賞意欲が湧く様に、頑張って感想書きますね(*^_^*)。

ヤマ(管理人)
 こちらこそです。都会と地方じゃ公開作品も公開時期もずれてしまうことが多いですが、これまでたくさん編集採録をさせてもらっているように、タイミングが合った際のミノさんとの談義は非常に刺激的なので、大いに楽しみです。
by ヤマ

ケイケイさん掲示板2017年 1月10日(火)00時19分~ 1月26日(木)21時26分



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