『ハクソー・リッジ』(Hacksaw Ridge)
監督 メル・ギブソン

 キリスト者でもない僕を震撼させ、ナザレのイエスのリアルはかくなるものだったに違いないと思わせてくれたパッションを撮ったメル・ギブソンがずっと追っている主題は、まさに“ブレイブハート”なのだと確信した。本作に描かれた衛生兵デズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)のブレイブハートは、紛れもなく『パッション』に描かれたナザレのイエスに重なるような気がした。ゴルゴダの丘に向かう青年の奇跡の歩みに相当する「ワンモア…ワンモア…」だったように思う。

 それにしても、凄まじいまでの戦闘場面の無残さだった。決して人が正気でいられるところではないことがひしひしと伝わってくる。沖縄のハクソー・リッジ(前田高地)を死守しようと突撃してくる日本兵にしても、陥落させようと突撃していく米兵にしても、尋常の形相ではない。白旗を掲げて地下壕がら出て来ながら自爆テロのような爆死を果たす日本兵たちや割腹を遂げる指揮官の姿を描きながらも、戦地における両者を等しき者として描いていた視線には、デズモンドが断崖絶壁からもやい結びのロープによって救出しようとした負傷兵に日本兵も含まれていたことが反映されているように思われた。

 彼らをこの戦場に送り込んでいるものが何なのかを思うとき、称揚される“愛国心”や“妻子を守るため”などに決して騙されてはいけないと思う。権力者の面子や財界人の利権によって引き起こされる戦争というものにおいて、最も苛烈な犠牲を払うのは、戦場になった地の住民と、互いに殺し合いを職務とする兵士たちに他ならない。

 良心的兵役拒否者でありながら入隊を志願しつつも決して銃を手にしようとしなかったデズモンドが、一度だけ銃を手に取る場面が利いていた。入隊訓練を終了しなければ志願する衛生兵にもなれないと、訓練終了に必要な銃器訓練に替えて「手に取り持つだけでもいいから」と部隊長に唆されても固辞して、裁判にまで掛けられたデズモンドが、その一度の場面では躊躇することなく銃を手に取っているように見えた。先の固辞が単なる意固地ではなく“良心の自由”を固持するうえでの信念であり、誇りに他ならないことを明瞭に示していた気がする。

 そして、その“良心の自由”こそは、本作でデズモンドを演じたアンドリュー・ガーフィールドが棄教させられる宣教師ロドリゴを演じていた沈黙-サイレンスーの主題でもあったことを思うと興味深いものがあるように感じた。

 そんなデズモンドからの強引なまでのアプローチによって結婚した妻ドロシーを演じたテリーサ・パーマーが素敵だった。裁判にまで掛けられようとする状況に、衛生兵になるとの目的からすれば本末転倒とも言える“プライドへの拘り”を指摘しつつ、そのプライドこそが夫の信念を生み支えている“敬虔なる誇り”でもあることを理解し、受容する場面が印象深かった。




推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20170628
推薦テクスト:「大倉さんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961230677&owner_id=1471688
by ヤマ

'17. 6.30. TOHOシネマズ4



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