『真田十勇士』
監督 堤幸彦
『キング・オブ・エジプト』
監督 アレックス・プロヤス

 パロディと言うよりは換骨奪胎と言うべき妙味に富んだ作品をたまたま同日に続けて観た。とんでも話と言えばそれまでなのだが、古代神話にしろ講談にしろ元々がそうなので、「ここまでやるか!」はあっても大いに楽しんだ。娯楽としての映画の本領だという気がする。

 先に観た『真田十勇士』では、そもそも真田十勇士なる講談話自体が騙りに近い話だからといって、世に伝わる話をここまで大胆に改変するかと呆気にとられつつも、さすがはマキノノゾミ脚本だけあって気が利いていて、その意匠自体は悪くない。穴山小助を真田幸村の実子である真田大助に替え、父子ものの要素を加えているところが、父性の失われた“父なき時代”の作品としてのミソだと思う。

 オープニングの時代背景を語る絵のなかで徳川家康が松平健になり、豊臣秀頼が永山絢斗になるから、実写映画だとは思いながらも、あまりに長いアニメーションによる真田九勇士の誕生までの前説に、字幕で「本作はアニメーション作品ではありません。あと数分で実写になります」というような断りが入ったのが可笑しかったが、それ以上にエンドロールの脇で本作の後日譚を漫画で述べたものの突拍子もなさに、さすがにこれを本編で見送ったのは正解だと思った。

 猿飛佐助を演じていた勘九郎に勘三郎の軽妙は真似できないだろうと思っていたのだが、『シネマ歌舞伎 野田版 研辰の討たれ』の日誌で触れたような勘三郎の芸達者には遠く及ばないものの、後継ぎとして果敢に挑戦していることに大いに感心した。

 真田幸村を演じた加藤雅也が思いのほかよかったように思う。大坂夏の陣で幸村が家康の本陣まで攻め込み馬印を倒した武勲について“虚仮の一心”とすることで、人は人によって作られるものであるという人生の核心と、真田十勇士なる物語によって作り上げられた人物譚という幸村の本質を同時に衝いていたような気がする。マキノノゾミの面目躍如だ。


 続けて観た『キング・オブ・エジプト』も、古代エジプトについて造詣の深い者からは失笑を買うのかもしれないが、史実とされるものでさえ『真田十勇士』にも掲げられていた「なにが嘘でなにが真か」と似たり寄ったりのものでしかないことからすれば、神話に正誤も何もあったものではないという気がしなくもない。

 物語以上に本作が力を入れていたのは、やはり映像そのもののほうだった気がする。CGの少しのっぺりした感じの窺われる場面もあったけれども、ビジュアル・デザインというかビジュアル・イマジネーションというか、その見事さには、すっかり魅せられた。

 人間の成長譚はあっても、神々の成長譚というものは、あまり見かけない気がする。人間くささで知られるギリシャ神話の神々を映画化した作品で、人間よりも二廻りほど大きい姿で描いていた映画作品があったように思うが、それと同じ意匠での描出が効いていた気がする。太陽神の孫ホルス(ニコライ・コスター=ワルドー)と、いかにも人間らしく盗みの達者なベック(ブレントン・スウェイツ)のバディ・ムービーとしても楽しめる本作に、贔屓のハムナプトラを思い出したりした。

 太陽神ラー(ジェフリー・ラッシュ)の聖水も、ホルスのもう一つの失われた片目も決め手にしないまま、真の決め手たる愛と友情を獲得する物語のシンプルさが好もしかった。
by ヤマ

'16.10. 4. TOHOシネマズ9
'16.10. 4. TOHOシネマズ8



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