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『シネマ歌舞伎 野田版 研辰の討たれ』['07] | |||||
脚本・舞台演出 野田秀樹
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町人あがりで武芸からっきしの世渡り侍である研辰こと守山辰次を演じた十八代目中村勘三郎の舞台を観たことは一度もなかったのだが、ものすごくエネルギッシュで躍動感に溢れた見事なステージだった。歌舞伎座での演目を映像に記録した舞台を同じく芝居小屋である弁天座で観ると、味わいにも一際のものがある。歌舞伎役者の鍛え上げられた身体動作で見せてくれる漫画的な滑稽さの美しいことに瞠目させられた。生の舞台で観たら、とても捉えられない表情や所作の細かい芸の達者さにも感嘆。 今は亡き中村勘三郎は、軽薄な滑稽さや姑息さ、愛嬌の見せ方が実に上手い。それに加えてシリアスな凄みもきっちり演じられるから見事という他ない。また、声の通りが良くて、台詞が実に聴きやすい。しかも、切れ目のない鮮やかな舞台転換のなかでの出ずっぱり。いや全く、大したものだ。息子の勘九郎【平井才次郎】や七之助【宮田新左衛門・やじ馬の町人】も出演していたが、これだけの芸達者の父親を持っているとなかなか大変だったろうなと思った。 いわゆる仇討物ということになるのだろうが、冒頭に出てくる忠臣蔵的な忠義譚ではなく、二ヶ月ほど前にシアターTACOGURAのプロデュース公演で観た『お國と五平』と同じような深みを湛えた芝居だった。そういえば、谷崎潤一郎の書いた『お國と五平』も元は歌舞伎だったように思う。だが、武芸に秀でた家老の平井市郎右衛門(坂東三津五郎)に衆人環視のなかで嬲られてかかされた恥を根に持って、研辰が卑怯な闇討ちにかけるためのからくり仕掛けの道具立てにおける見世物としての凝った鮮やかさ一つとっても、『お國と五平』公演とは比べものにならない贅沢なまでの娯楽性を誇っていた。 そのうえで、武士であるばっかりに負わされる仇討なるものを題材に、それを面白がり押し付けている町民の無責任さと残酷さを印象づけていた十年前の野田版の舞台は、コンテンポラリーな風刺劇としても秀逸だった。近年特にネットが主導する形でひどくなっている気のするマスコミなるものの取り上げる不倫報道などという“報道”なる呼称を冠するのも御粗末なゴシップ記事に顕著に窺える無責任な面白がりと残酷さを映し出しているようでもあって、なかなかに奥も深かった。 ため息を吐くほどに感心しながら、エンドクレジットを眺めていたら、高校の同窓生の映画カメラマン近森眞史の名が色彩監修として出てきて驚いた。山田組での撮影ばかりか、こんなところでも仕事をしてきていたんだなと改めて感心した。 |
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by ヤマ '16. 9.10. 弁天座 | |||||
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