『家族はつらいよ』
監督 山田洋次

 劇中に現れた小津安二郎の『東京物語』のエンドマークが映し出されたとき、これは本作のエンドマークにもしなければ嘘だと思ったら、きちんとエンドロールが始まった。しかもバックに三世代家族の“騒動を経ての今”を映し出しながら、まるで『吾輩は猫である』のように、飼い犬トトによる人間観察譚として締め括られていた。 さすが手練れた山田作品だと随所で感心しながら観てきたラストに、とても相応しいものだったような気がした。

 映画の劇中に映画が登場する場合、引用した映画作品への強い思い入れが作り手にはあるとしたものなのだが、本作における『東京物語』ほどに濃密なものは稀ではなかろうか。それなのに、その引用がスクリーンに映写された映画ではなくて、DVDディスプレイ画面だったりするところに“今どき”を感じるとともに、本作にも登場する風吹ジュンが夫の死後、映写技師となって『ひまわり』を映し出していた関口敏子を演じる魂萌え!(阪本順治監督)のことを思い出した。

 平田と平山の違いはあれど、本作と配役がまるまるダブって見えてくる東京家族には直接映像での『東京物語』は登場しなかったように思えるところが、三作品の対照として、小説教室の先生高村(木場勝己)の強調していた“想像力”というものを掻き立ててくれたような気がする。

 本作において一気に話が転び始める、周造(橋爪功)昏倒の顛末の発端となった重要な言葉が、長女の成子(中嶋朋子)が税理士で、妻の収入が家計の中心を占める金井家の亭主泰蔵(林家正蔵)に対して周造の発した「髪結いの亭主」となっているのは、『東京物語』の金子志げ(杉村春子)の生業が美容師だったからに他ならないように思えたりするものだから、『東京家族』や『東京物語』を再見したうえで観に行くと、もっともっと面白かった気がする。それにもかかわらず、両作を観ていなくても本作だけで充分楽しめる娯楽性を備えるという大事な点をしっかり押さえていて、未見で臨んでも疎外感を味わうことが恐らくはないように思われる点が、流石の映画づくりだと思った。

 そして、「言葉にしなければダメなの」との間宮憲子(蒼井優)の諭しに沿った周造の“言葉”が靴下畳みだったりするのは、いかにも昭和男に相応しく、また、その程度のことを「あの夫が…」と“大きな変化”として受け止めることのできる富子(吉行和子)が、いかにも昭和女らしくて納得感があった。

 そのうえで、とみこ・しげこ・のりこの女性三人だけが三作品において名前の違わない登場人物になっていることにも、作り手の思いが窺えるような気がするとともに、言葉とは“気持ちを形にするもの”のことであって、口先で弄するだけのものを指すのではないのだと、昨今の弁護士上がりの政治家たちに言ってやりたくなるような作品だった。

by ヤマ

'16. 4. 1. TOHOシネマズ8



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