『ルーム』(Room)
監督 レニー・アブラハムソン

 さすがはアイルランド・カナダ作品だ。この題材で通常のエンタメ映画なら、七年に及ぶ監禁生活を抜け出した時点がハッピーエンドとなるのだろうが、本作は、むしろそこからが本領となる作品だったように思う。

 長く伸びたジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)の髪にシンボライズされていた“幼子の存在の持つパワー”というものに強い感銘を受けた。彼が生まれていなければ、ジョイ(ブリー・ラーソン)は長期にわたる監禁中、その気丈を保ち得なかっただろうし、あれだけタフでクレバーに監禁中をサヴァイヴァルできた彼女が、解放されてから晒された試練に潰れかけたことからも、救われることが起こらなかっただろう。

 それにしても、幼子の環境適応力というのは素晴らしい。か弱く柔軟であるがゆえに、しなやかなタフネスを宿していることがよく分る。五歳になってママから試練を課せられ、四歳に戻りたいと零していた彼が、初めて青空を直に目にし、その広がりに目を見張った時の表情が素晴らしかった。世界を全身で受け止める物凄い吸収力を備えていることを示したあの表情を、どのような演技指導で引き出したのだろう。幼いジェイコブ・トレンブレイが、天使のようなイノセンスを見せたり、哲学者のような思慮深さを窺わせたり、羊のような怯えに震えたり、ピーターパンのような勇敢さを発揮したりと、とても素敵だった。

 考えてみれば、ジョイが監禁中に傷付けられていたのは専らオールド・ニック(ショーン・ブリジャース)からだけだったのに、解放されてからは悪意の有無にかかわらず、両親や医師、お決まりのマスコミと実に数多の人々からの刺激に傷ついていたのだから、壊れてしまいそうになるのが道理なのだ。彼女の十七歳から二十四歳に及ぶ歳月を奪うことでそれだけ酷いことをしたのがオールド・ニックなのに、その彼女を支え救うジャックを授けたのもまた彼であるところが、何とも言いようのないくらい残酷だ。いつ来るのか、あるいは来ずに済むのかわからないけれども、ジャックがその事実に直面しなければならなくなる日のことを思うだけでも、戦慄が走る。その予感の潜在に脅かされ続けるのがジョイの負わされているもので、それはオールド・ニックの“ルーム”から脱出できたことにより却って脱出不可能なルームであることが際立つことになる。

 そのことを最初に残酷な形でジョイに突き付けたのは、他ならぬ実父ロバート(ウィリアム・H・メイシー)だったように思う。ジャックを目にすることで“娘を穢された父親”たる自分を先に無意識に感じ取ってしまうのだろう。まるで“寝取られ男”みたいな沽券のほうが娘への愛情よりも先立ってしまう哀れと情けなさをウィリアム・H・メイシーが好演していた。ナンシー(ジョーン・アレン)との離婚の原因もそこにあったに違いない。

 “ルーム”からの脱出により封印を解かれた精神的苦痛に苛まれて最愛のジャックにもきちんと向えなくなる程に自分を見失いかける娘のジョイに対して「この七年間苦しんできたのは自分だけだとは思わないで!」との厳しくも重要な楔をきちんと入れてやっていたナンシーが実に立派だった。狭い部屋に閉じ込められたままジャックと密着することでからくも生き延びてきたジョイにとって、自身とだけ向きあう時間をもつプロセスは必須のものだったに違いない。それをどういう形で担保してやれるのかが娘の親としてできることの最大のもののような気がするが、ナンシーは再婚相手の伴侶レオ(トム・マッカムス)のこの上ない協力を得て、ほぼ最上のものを与えていたのが実に立派だった。だが、自身の想像の及ばない生活による受傷を抱えた娘母子とどう関わっていけるのかとの不安には、むしろジョイ以上に苛まれていた気がする。

 そんなナンシーの苦衷を救っていたのもまたジャックだった。「ばぁば、大好き」と抱きつくことのもたらすギフトの大きさは、あの状況であれば、いや増すであろうことは、六人の孫のなかでもとりわけ僕に懐いている二人の孫息子がふとしたときにしてくれる「じぃじ、大好き」と全く同じだっただけに容易に察することができ、涙なくしては観られなかった。娘当人にとっても親にとっても、ある意味、帰還してからのほうが過酷ですらある状況をこれだけリアルに描き出した作品を僕は初めて観たような気がする。そして、それが救われるところが本当に素敵だった。幼子には、実際にそれだけの力があるように思う。

 それにしても、インタビュアー(ウェンディ・クルーソン)が「手元で子供を守ろうとする以前に、先ず子供の解放を考えなかったのは何故か」という気づきをジョイに与えなかったら、ジョイとジャックの解放後の生活は、もう少しソフトランディングできていたのだろうか。それとも、いずれどこかで訪れる試練だったのだろうか。マスコミというのは実に因業な商売だと思わずにいられなかった。

 僕の目を惹いたのは、あのインタビューがメディアスクラム的な突撃取材の形で行われたものではなく、きちんと弁護士もかませた正式な出演応諾の元に行われたインタビューで、演出的にもインタビュアーを悪者に仕立てず、むしろ気遣いを見せさせながら、商業メディアの因業として“視聴者の喜びそうな鋭い突っ込み”をさせていたところだった。メディアのインタビューを受ければ、そうなるリスクは想定できることだから、受けさせてはいけないという判断と、メディアから逃げ回って、より心無い形で餌食にされるリスクを回避するためには最もましな場と相手を選択して応諾することが必要だという判断とのなかでの弁護士の判断誤りだと思うけれども、悪意の不在を歴然とさせていた脚本が秀逸だったように思う。

 オールド・ニックの尋常ならざる暴力にすら耐えてジャックを守るためには自ら彼をベッドに誘う気丈さでもって生き延びた彼女でさえも、視聴者を含めた悪意なきマスの暴力によって究極の危機に追い込まれてしまうことを際立たせていた気がする。ある意味、ニックの非道極まりない暴力以上に残酷であることを浮き彫りにしていた。メディア・リテラシー教育の先進国として知られるカナダ作品だけのことはあると思った。また、そこまで彼女を追い込むインタビュアーを女性にしてあるところも効いているように感じた。女性に対してより手厳しいのは往々にして女性であるのは、僕の経験則からも違和感のないところだ。

 そして、警察の初動対応がいかに重要であるかをコンパクトに示し、見事に優秀だった警察官のほうも女性にしていたバランスの良さが鮮やかだった。もう少し時間が経ってしまえば、天窓の件はともかく、“ルーム”の所在地に見当を付けられる位置情報をジャックから聞きだすことは叶わなくなっていたかもしれない。“一時停止せざるを得ない箇所3つ分”と即座に判断しての即日逮捕とし、解放後の展開に運んでいた脚本の素晴らしさに感服した。大したものだ。




推薦テクスト:「映画通信」より
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推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
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推薦テクスト:「眺めのいい部屋」より
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推薦テクスト:「田舎者の映画的生活」より
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by ヤマ

'16. 4.14. TOHOシネマズ9



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