『パレードへようこそ』(Pride)
監督 マシュー・ウォーチャス

 同じ週に観たベルギー映画サンドラの週末』の映画日誌労働者の連帯がすっかり解体された今の日本だと、もはや地方都市においてさえ、各人が10万円の臨時手当を取るか同僚の復職を取るかの投票を求められて、かような拮抗は期待できなくなっているのではないかなどと記したことに、ちょうど被ってくるような連帯を三十年前の英国での実話に基づいて撮られた映画の主題として観ることに奇遇を覚えた。

 また、前の週には、同性婚の禁止が憲法の保障した平等権を侵害するものとして法廷闘争を重ねた案件に、共和・民主の党派を超えた弁護士チームが携わっている姿を追った米国ドキュメンタリー映画『ジェンダー・マリアージュ ~全米を揺るがした同性婚裁判~を観ていたものだから、重ねて奇遇を覚えた。

 それにしても、一年を超えるストの貫徹というのは、当時者たる労働者にしてもそれを支えた連帯組織や個人にしても、半端ない粘り強さで恐れ入る。喉元過ぎれば式に次から次へとメディアが垂れ流す事件報道に流されてばかりいる我が国の民とは“権利闘争”に対する根幹意識の次元が違っているように感じた。とはいえ、その英国においても、連帯の生んだ奇跡とも言うべき事象を追うと、鉄の女宰相サッチャーによる保守党政権時代にまで遡らなければならなくなっているということかもしれない。

 原題が「パレード」ではなくて何故「プライド」なのだろうと思っていたら、同性愛者の権利保障を訴える毎年恒例のデモンストレーションの行事名「LGBTプライド」として、最後の感動的なクライマックス場面に登場した。同性愛は決して恥ずべきものではないという社会的承認を得ることで誇りの獲得を目指しているのだろう。それは、労働者が奴隷的な被支配者として貶められずに、働く者としての人間的誇りを奪われないよう声を上げることにも通じているわけで、いい原題だと思った。最初に炭鉱夫のストライキ支援を言い出したマーク(ベン・シュネッツァー)がどこまで考えてのことだったかは定かではないが、かなり直感的なものだったように描かれていた。それに対し、非常に冷静に理知的な判断と派手さのない誠実な言葉と行動を見せていたダイ(パディ・コンシダイン)の存在が印象深かった。歴史のなかで“名もなく埋もれゆく立役者”というような人々のある種の典型のような気がした。

 『ジェンダー・マリアージュ』を観ていても思ったことだが、我が事でもないのに“許せない”といきり立つ人々に刷り込まれている偏見による差別と排斥の意識の根深さは、本作の場合、同性愛者たちを忌み嫌うあまり他に抜きん出ててストライキ支援に奔走してくれているにもかかわらず支援を受けている側から保守的メディアというか反ストライキの政権側にある新聞への密告者が現れるのだから、言わば恩を仇で返すような仕打ちまでさせることを語っていて強烈だった。

 作中の言葉として表れた「五人に一人は同性愛者だ」というのがどこまで信憑性のあるものなのかは定かではないが、マイノリティのなかでは比較的メジャーなマイノリティということになるのかもしれない。作り手の意図したところは、その下地があってのことというわけでもなかろうが、直に接点を持ち合い、共有する目的が得られれば、炭鉱夫たちとゲイが仲良くなるのは必ずしも至難のことではないさまがユーモラスに描かれていたところが好もしかった。その際に有効だったのが、言葉以上に酒とダンスだったことに納得感があった。今の日本で労働者の連帯がすっかり解体されたように感じられるのも宜なる哉という気がした。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=3700229&id=1941259194
by ヤマ

'16. 7. 2. 美術館ホール



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