『人生スイッチ』(Wild Tales)
監督 ダミアン・ジフロン


 公式サイトの英語版に示された英題どおり、何とも乱暴な話だった。ブラックユーモアの境界線を少々踏み越えた痛烈さと、そのあたりで踏みとどまるバランスのほどが絶妙だったように思う。

 オムニバスで並んだ6話は、「おかえし(Pasternak)」「おもてなし(The Rats)」「エンスト(The Strongest)」「ヒーローになるために(Little Bomb)」「愚息(The Proposal)」「HAPPY WEDDING(Until Death Do Us Apart)」で、いずれも予想を上回る意表を突いた展開が鮮やかだった。

 そのなかで僕が最も面白かったのは、ちょっとキング・オブ・コメディ['83]を想起させてくれた第4話「ヒーローになるために」だったが、今の御時勢を思うと、挑発と腹いせの繰り返しでエスカレートした果てに黒焦げの共倒れになる第3話「エンスト」も捨てがたい。国レベルでこのような愚を犯すことだけは御免こうむりたいものだと思うが、近頃の国際情勢には、この手合いの幼稚な挑発が目立ってきた気がしてならず、きな臭さが増してきているように感じる。

 パンクの話を敢えて「エンスト」という邦題にした意図が、パンクから始まって命のエンストに至る話だという趣旨ならなかなかのものだし、英題の“最強”を競り合うことの愚を衝いたタイトルも悪くないと思う。

 アルゼンチンでは規制緩和による民活で駐禁違反車のレッカー移送権限が民間業者に出されたのかどうか知らないけれども、第4話の英題である“小さな爆弾”は、ビル解体業に携わる爆破技術者(リカルド・ダリン)が度重なる違反キップを切られるなかで、制度的には担保されているはずの異議申立てを事実上、いっさい受け付けてもらえないことが頭にきて、レッカー移送業者の集車場を爆破したことで収監されつつも、国民的ヒーローになる話だった。本来、金稼ぎの手段になるべきではないことを営利業者の手に委ね、利権化させることで社会が負うリスクとコスト(これらこそが“小さな爆弾”か?)の問題を巧みに衝いていたように思う。

 それにしても、どれもこれも強烈なキャラクターの登場に唖然としたが、それで言えばキャラクター的には、第5話「愚息」が平凡で、少々見劣りがしたように思う。大金持ち(オスカル・マルティネス)が息子のしでかした轢逃げ事故の犯人身代わりを画策するなかで、その報酬額を巡る“The Proposal”の変転の顛末は、運びが鮮やかでそれなりに面白かったが、それ自体がありきたりと言えばありきたりだ。それゆえかもしれないが、他のエピソードに窺われる才知を欠いた粗暴な強引さをもってしてまで、最後の意表を突く仕掛けを無理に設えている印象が残った。

 そのようななかでのベストキャラクターは、やはり第2話「おもてなし」の料理人(リタ・コルテセ)だったような気がする。同僚のウェイトレスの抱く恨みと憤慨の標榜する“感情”とは異次元の没感情性のなかで、同僚の感情の発露の帰結するところを無造作に提示しつつ、己が求める快楽殺人の口実を得ている不気味さに事もなげな凄味があったように思う。

 タイトルとしては「死が私たちを分かつまで」という英題のほうが断然よかったように思う第6話「HAPPY WEDDING」での花嫁ロミーナ(エリカ・リバス)も捨て難く、新郎となった男の不実へのキレように、なかなか凄味があった。憤りよりも失意による痛切が勝っている感じが見事だった。

 また、本当に小咄だったけれどもアイデア的には第1話「おかえし」が秀逸だと思った。続々とパステルナークという男の縁者が立ち現われる展開に呆れ、両親に突っ込むオチに仰天した。予告編で既見の映像でなければ、さらに驚いたことだろう。これぞオチだ。とはいっても、アルゼンチンで、話の閉めをオチというのかどうかは知らない。

 それにしても、こういうブニュエルっぽい映画というのは、久しぶりに観たような気がする。二十歳代の時分に観た自由の幻想['74]を思い出し、何だか妙に、懐かしいというか若返ったような気分が得られて楽しかった。本当に、人間というのはバカな生き物だ。それもこれも全て承知のうえで呑込んで、ロミーナと新郎のように覚悟を決めるしかないのだろうと思わせるようなエンディングが効いていた。なかなか大したものだ。

by ヤマ

'16. 1.11. あたご劇場



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