『博士と彼女のセオリー』(The Theory Of Everything)
監督 ジェームズ・マーシュ


 かのホーキング博士(エディ・レッドメイン)の映画かと思ったら、彼以上に奥さんのジェーン(フェリシティ・ジョーンズ)が印象深くて思い掛けなかったが、エンドロールを眺めていたら原作者が彼女自身だった。そういうことなら、声を失ったホーキング博士を介助した看護師エレイン(マキシーン・ピーク)の目に映った夫妻の姿をも観てみたい気がした。

 原題「万物の理論」を「博士と彼女のセオリー」にした邦題に含蓄があるように感じた。そのセオリーとは“自分を活かし、且つパートナーに犠牲を強いない”ということになるようだが、その背後で浮かび上がってくるのが“男女の関係は実に微妙で難しい”という、実にシンプルで普遍的なセオリーだったりするところがなかなかのものだ。ジェーンが余命2年と宣告された若きホーキンスと結婚して以後、献身的に主婦を務め上げている姿に常に“自身の意志”が強く表れているところがよく、また、妻に対する負い目を感じさせることも胡坐をかくこともないホーキングの姿が好もしかった。

 進行する夫の病状に対し、そんなジェーンが行き詰りを感じ始めたときに出会ったジョナサン・ヘリヤー・ジョーンズ(チャーリー・コックス)の存在に対するホーキングの受容の仕方に最も端的にそのセオリーが現れていたように思う。そして、兄姉と歳の開いた第三子ティモシーの誕生に向けられる好奇の目によりホーキング家を離れたジョナサンに対して、戻るようホーキング博士が求めたのは、まさに妻ジェーンを愛すればこそのように映った。ジェーンが母親ベリル(エミリー・ワトソン)から得た助言によってジョナサンとの出会いを果たしていなければ、ホーキング夫妻の関係はどう変質していたのだろう。

 それにしても、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した夫との間に三子をもうけて育てた後に、若き時分の自身が求めた学位をきちんと取得したらしいジェーンに恐れ入った。彼女なくしてホーキングの学位・業績はなかったに違いない。発症前のケンブリッジの学生時代の“佇まいそのものから自信というものが立ち上っているような若者”としてのホーキングの描出が効いていて、ALS宣告によりアイデンティティ・クライシスを迎えた彼が単に高度な医療的介護を得ただけでは、その自信とユーモアを取り戻すには至らなかった気がしてならなかった。ALSで随意筋は委縮しても、無意識の反応のほうには支障がないようだと友人に囁く博士の弁に、十年ほど前に観た砂と霧の家』['04]の日誌に綴った全ての奮闘や痩せ我慢が報われるような幸福感というのは、夫として家長として、妻が認め身体で応えて癒してくれるひとときにあるものだと改めて思う。夫婦の和合というものは、かくありたいものだとしみじみ感じさせてくれたベラーニ大佐(ベン・キングスレー)のことを思い出した。

 ところで、欧州大陸でのオペラ公演に招待された際に引き起こした発作でホーキング博士が声を失うことになったのがある種の報いでもあるかのように、ちょうどその前に、子供たちの寝付いたテントとは別張りのジョナサンのテントを訪ねて行くジェーンの姿が描かれていたことが目を惹いた。彼女自身の著した原作ではどのように綴られているのだろうか。

 音声を失った彼の意思を誰よりも手際よく的確に読み取るエレインにホーキング博士が心を移したことは、ジェーンを深く傷つけていたが、これについても本作の描き方は、あくまで「博士と彼女のセオリー」としての“自分を活かし、且つパートナーに犠牲を強いない”を基本的に踏まえたものであったような気がした。つまり、かつて夫妻の元に現れたジョナサンと新たなエレインにおいて“夫妻にとっての必要性”に変わりはなく、ただその性別が異なっていたことで生じた出来事に、見過ごせない違いが起こったというように感じられたのだ。

 この“音声を失うことでホーキング博士が迎えた二度目の大きな失意”に対するジェーンの側での大きな違いは、彼の自信とユーモアを取り戻すことへの無力さを彼女が感じていたことだったように思う。ALS宣告による若きホーキングの自己崩壊の危機に際して、若かりし頃のジェーンは苛立ちなど些かも覗かせず、むしろ手応えと甲斐を持って立ち向かっていたのに、二度目のときは、死の宣告さえも自分とともに乗り越えたホーキングが、言葉を取り戻す手立てが目前に示されているにもかかわらず、チャレンジ精神よりもいじけを露にすることに対して苛立ちを覚えていることが率直に描かれていたように思う。

 ジェーンが苛立つことでホーキングが益々いじけてしまうという悪循環的な関係は、ジェーンが“非常に優秀”と彼に紹介したエレインとの間では起こらない。ジェーンには前回のホーキングとの比較が付きまとうことに対し、エレインには、これまで自分が接してきた患者との比較しか生じないわけだから、ジェーンがエレインに冠した以上の“非常に優秀”な患者ぶりをホーキングが即座に発揮することに対し、かつてジェーンが味わったのと同じような手応えと甲斐を喜びとともに得ていることが偲ばれた。

 かくしてジェーンとホーキングは三十年近くに及ぶ婚姻を解消してしまうわけだが、婚姻関係の如何によらず彼の業績に対して最も高い貢献をしたのがジェーンであることを他ならぬ彼自身が最もよく知り弁えていたからこそ、英国女王から顕彰された際に彼女に声を掛けて一緒に出席したのだろう。そのこともまさしく「博士と彼女のセオリー」によるものだと感慨深かった。

 そして、そんな「博士と彼女のセオリー」の真髄とは、応分としての“バランスと必然”であり、男女関係さえも含めたまさに「万物」の理論に通じるものに違いないという気がした。邦題になかなか含蓄があると感じたのは、そういうことだったように思う。




推薦テクスト:「映画通信」より
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推薦テクスト:「銀の人魚の海」より
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推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=3700229&id=1940783669
by ヤマ

'15. 8.21. DVD観賞



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