『唐山大地震』(唐山大地震)
監督 フォン・シャオガン


 堂々たる実に映画らしい大作だと思った。そして、1976年の被災で心身ともに深い傷を負った母子の32年を描いた作品を観ながら、これを135分に収めて、前篇・後篇などに割ったりしていない映画作りに感心した。日本の映画興行では、もうこういう製作は望めないのだろうと思われる脚本構成と、割愛された時間を補い埋めて余りある演出力が見事だった。チェン・カイコー監督の名作さらば、わが愛~覇王別姫['93]を想起させるような、10年ごとに場面の跳ぶ時間構成の大胆な飛躍に唸らされた。

 わけても2008年の四川大地震に災害ボランティアとして駆け付けたファン・ドン(チャン・チンチュー)が双子の弟であるファン・ダー(リー・チェ)にもしやと気付いた場面からいきなり、ダーが経営する旅行会社のマイクロバスに姉を乗せて被災後も唐山から離れなかった母親ユェンニー(シュイ・ファン)の元に連れていく場面に切り替わったことに意表を突かれた。だが、32年ぶりの姉弟の再会場面を描いて引き続き32年ぶりの母娘の再会場面を重ねるというのは、テレビの連ドラならいざ知らず、映画的なメリハリの利かせ方としては手際が悪くなりがちなので、本作のように思い切って割愛するほうが断然スマートだ。

 4年前に観た一命』['11]の映画日誌かくも説明を加えなければ、今の時代の観客には伝わらないというふうに作り手が構えざるを得ない事態になっていることが際立って感じられ、少々情けない思いを誘われたと記したことからすれば、本作の潔さが際立つように感じられた。そして、描かれていない時間に対する想像力が掻き立てられるとともに、人間、家族といった存在について、観る側の感情が大いに揺さぶられたように思う。

 瓦礫の下敷きになった幼い姉弟が一方を救おうとすれば他方が押し潰されるといった形でともに生存していて、どちらの救出を選択するか母親が迫られるといった劇的に過ぎる“究極の選択”を設えたドラマというのは、古くからの歌舞伎や現代の韓ドラなどにありがちな相当にあざとい仕立てなのだが、逆に言えば、エンタメの王道でもあるわけで、歌舞伎にいう“段”のような見せ場が手際よくふんだんに仕込まれていて、すっかりやられてしまった。

 なかでも僕が好きなのは、死期の迫った養母ドン・グイラン(チェン・ジン)を養父ワン・ダーチン(チェン・ダオミン)に請われてドンが見舞いに訪れる場面で、彼女を引き取って育てたことで生じた面もある夫婦間の波風の部分に対する養母の想いもドンへの言葉に乗せて夫に伝える“まさに絵に描いたような窓越し場面でのワン・ダーチンの涙”だ。人民解放軍兵士から幹部に栄達したらしいダーチンの人物造形に窺えた理想化やドンの見舞われた苦難と苦悩の数奇なる展開にも、あざとさよりはエンタメ作品としてのある種の収まりのよさのほうを感じた。

 そういった実にオーソドックスな劇的構成による展開の最後に、被災者24万人の刻銘を行っているらしい記念碑の威容が現われて圧倒された。沖縄戦戦没者を刻銘した摩文仁の丘の「平和の礎」の24万人に匹敵する刻銘者数なのだが、巨大さでは唐山のほうが勝っているように感じた。自転車で今なお慰霊に訪れている人物が名前のクレジットとともに映し出されることで、やにわにドキュメンタリー色が打ち出され、その対照に気押されるようなところがあった。

 日本での公開を目前にして東日本大震災の発災により公開見送りとなりながら、4年後に敢えて公開し直されただけのことはある作品だと思った。
by ヤマ

'15. 8.27. 美術館ホール



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