『妻への家路』(歸来[Coming Home])
監督 チャン・イーモウ


 かつて僕が自主上映活動に携わっていたころ、チャン・イーモウの監督作品は、高知のオフシアターでの常連作品だったが、彼がHERO['02]以降メジャーなエンタテイメント作品に移行してからは、王妃の紋章['06]を最後に高知ではすっかり上映されなくなっていたので、楽しみにしていた作品だ。

 いささか観賞条件が悪かったのだが、それを超えて響いてくる映画の力に感じ入った。中国共産党の反右派闘争や文革で“右派”とか“走資派”といったレッテルを貼られた人々であれ、大日本帝国で“アカ”というレッテルを貼られた人々であれ、国家権力が知識人弾圧を始めるのは、とんでもない世の中になっていることの証のようなもので、その残した爪痕を描いて痛烈極まりない作品だった。だが、党の過誤を告発すること以上に、その被った傷跡に真摯に向かう家族の絆のほうに目を向けた痛切な作品となっていて、通常のドラマにありがちな収まり方を超えた結末に強く打たれた。

 中国共産党から反政府分子として追放された知識人の夫で穏やかな教養人だったことがピアノを嗜みフランス語を解する姿からも偲ばれる陸焉識[ルー・イエンシー](チェン・ダオミン)との十年ぶりの再会を、事もあろうに実の娘の告発による逮捕で引き裂かれた馮婉玉(コン・リー)が、夫への強い想いを抱きながら、その識別だけが出来ない特異な心因性記憶障害になっていたわけだが、いくら丹丹(チャン・ホエウェン)がわずか三歳のときに別れたきりの父親のせいで苦労させられたと思って嫌悪しているにしても、男親を忌避しがちな年頃の娘だったにしても、何とも酷な話で堪らなかった。それだけに、追放から二十年後の“名誉回復”によって帰還した父の書いた母への手紙を読んで丹丹が涙する場面に心打たれた。

 逃亡途上で無謀にも一目妻子に会いたいと訪ねた父、写真の父親の顔を尽く切り抜き捨てた娘を正せなかった母、実の父を裏切った娘、それぞれに悔やんでも悔やみきれない悔恨があるわけだが、本当に責を負うべき者は彼ら個々人ではないことがあまりに明白で痛々しい。そのうえで、誰の何が悪いというのではなく、必要なのは、関係改善に向かおうとする意思と、そのための互いの赦しと寄り添いなのだということがしみじみ伝わってきた。

 そして、それには誰が妻であり夫であるのかをきちんと思い出し思い出させる“言わば歴史認識”の一致さえも超越しなければならない覚悟と必要があることを明示していたエンディングに、本当に恐れ入った。歴史的過ちの残した禍根には、ここまでの代償が求められるということだろう。被った傷跡から目を逸らしたり、なかったことにしたりせず真摯に向かう家族の到達した魂の気高さに心打たれた。焉識が婉玉に触れそうになる度に激しい抵抗とともにその名を呼ぶ方[ファン]なる人物について娘から訊き及び、焉識がお玉を手にして訪ねて行く挿話が効いていたように思う。

 最初は若年性認知症かと思ったが、実は心因性記憶障害と診断されていた馮婉玉の存在がとても利いていて、コン・リーさすがの名演だった。娘が写真を切り取った夫の顔以外の総てを細やかに記憶し、夫が伝えて来た到着日“五日”に駅に迎えに行くことをいつまでも欠かさない妻を間近に観ることが、焉識をどんなに苛み且つ惹きつけたかを思うと、改めて“強大なだけに度の越し方も半端ではない国家権力”の冒す人権侵害の罪深さに思い及んだ。そして、家族三人のなかでも最も深く傷ついた妻に必要なことは、制裁や謝罪を求めたり、賠償金を得ることでは果たせないものであることが浮かび上がっていたような気がする。いまチャン・イーモウがこういう作品を撮り上げた真意はどこにあったのだろう。




推薦テクスト:「眺めのいい部屋」より
http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/30b532c78f1c6a440cb2ddf4e7b62a30
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/16090503/
by ヤマ

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