【午前十時の映画祭】
『ディア・ハンター』(The Deer Hunter)['78]
監督 マイケル・チミノ


 大学時分に銀座の京橋寄りの大きな映画館の巨大パノラマスクリーンで観て以来の再見だ。卒業後、高知に戻ってから確か名画座でも上映したような気がするが、手元の手帳に記録が残っていないから、三十年余を経ての二度目ということになる。およそデートムービーに似つかわしくない映画なのに、何の考えもなく女友達と観に行き、映画館を出て喫茶に入っても双方ともが何も言葉の発しようがなく押し黙って時を過ごしたことを鮮明に覚えているくらいに圧倒された当時の衝撃は、五十歳を過ぎた今もなおとまでは言い難かったものの、戦場に若者を送り込むことが敵方のみならず自国民の若者に対して何を与え、残すものなのかを描き出して、並々ならぬパワーを備えた作品であることは間違いなく、大いに観応えがあった。

 記憶のなかにあったベトナム出征前の狩りのシーンでは、巨大スクリーンの左で発した銃声に対し、射止められた鹿の倒れる音が右のほうでしたはずなのだが、今回は鹿の倒れる音がしなかったし、ベトナム帰還後の狩りで、マイケル(ロバート・デ・ニーロ)が鹿を仕留めなかった場面も、僕の記憶のなかでは、銃を構えて鹿と対峙する時間がもっともっと長かったのに、かなりあっさりとしていた。全体のバランスから見ても、あの場面は、もっと引っ張るべき重要なところなのに、と少々拍子抜けした。

 また、今にして再見すると、筋書き的にはけっこう無理というか違和感を覚えたり、釈然としない点が多々あるし、当時、思いが及ばなかったと思われるようなことがいくつか浮かんだ。

 そもそも敢えて銃弾を三発増やし、空きを二つにしたうえでのロシアン・ルーレットを逆提起するのは、反撃を四発撃てるようにする狙いがあるから、リスクを承知で賭けに出る作戦として納得できる展開だが、なぜわざわざニック(クリストファー・ウォーケン)、マイケルともが引き金を引く必要があったのだろうか。二人共がそうする必要があることを前提にすればこそ、六分の二の確率のほうをニックに譲るマイケルの意思は、確率が六分の一となるほうを引き受ける覚悟の程が提案者として相応となるが、反撃に転じた際の空砲を避けるためというだけではリスクが高すぎ、三連射の必要を排除しておくのは止む無いにしても、二連射で確実に反撃できるなら、そちらを選ぶほうが合理的だ。しかし、敢えてリスクを高めてニックに迫る場面を描きたかったのだろうし、ニックにそれを強いたうえで六分の一の確率に賭けるマイケルの緊迫感を描き出したかったということなのだろう。三人で川を流れ下っていてヘリに助けられるのがニックだけになる顛末も、もう少しそのことのやむを得なさが丁寧に描かれるべきだし、負傷したスティーヴン(ジョン・サベージ)だけを軍用ジープに託し、俺はいいんだと去るマイケルというのも何かヘンな感じがした。

 ニックが記憶を失っていたのか否かは、軍医に問われて生年月日を思い出せず、リンダ(メリル・ストリープ)の写真を見ても誰か思い当たらない風情で涙を零していた時点では失っていたものの、回復してから後には若くして子持ちの売春婦の部屋に入った際に、どんな名前で呼ぶのがいいかと問われて「リンダ」と答えていたのだから、ニックは記憶を取り戻していたのだろうが、たとえ記憶を取り戻していたとしても、彼がマイケルさえも知らなかったスティーヴンのその後を知っているとは思えず、ニックにスティーヴンへの送金ができたとは考えにくい。それがマイケルの思い込みに過ぎなかったとしても、それを契機に彼は、陥落間近と思しきサイゴンを旧友救出のために訪れ、再会を果たすわけだが、街を逃げ出す人々の流れに逆らってニックを探しに向かうマイケルが、あの混乱した時点でもなお悠長にロシアン・ルーレットによる賭け勝負が行われ、活況を呈しているというのがまた少々腑に落ちない気がした。

 三十余年前に観た学生当時には思いが及ばなかったことというのは、もしかするとマイケルはリンダとベッドを共にするようになってはいても、マリアの恋人のイヴァンのような不能者になっていたのではないかということだった。リンダのほうから「慰め合いましょう」と誘われながらスティーヴンの余り思わしくない消息に関する情報を得ていたことで「(ニックと自分が暮らしていた)ここでそんな気にはなれない」ことを口実めかすようにして断りながらも、結局はホテルに宿を取っていた夜に何が起こっていたのかについては、直接的な描出がなかったけれども、ふとそのような気がした。ベトナムからの帰還後にマイケルが見つめていた、ニックから預かったわけでもなさそうな財布に入っていたリンダの写真は、ベトナム出征前にニックとリンダが付き合っていた頃から密かにマイケル自身が大事に納めていたものだったような気がした。

 僕自身のなかでは、ベトナムからの帰還後、出征前の自分には戻れない自分になっていることを思い知らされたマイケルが危険なサイゴンに舞い戻る動機として、その基盤にはベトナム出征前から「お前が狩りに行かないんなら、自分も行く気はない。」とニックに対して言っていたような特別な思いに加えて、元には戻れない自分についての思いを本当に分かち合えるのはニック以外にいないとの心情があるのは間違いないけれども、実際に行動に移す契機としては、スティーヴンの元に毎月定期的に届いていた大金と鹿を仕留められなくなっている自分というだけでは弱いような気がしていたので、今回再見して納得感が補強されたように感じている。

 それにしても、この時分にはメリル・ストリープが現在その位置を占めているだけの大女優になるとは、夢にも思っていなかった。クリストファー・ウォーケンも、ロシアン・ルーレットに見入られてから後の姿が余りにも強烈に印象に残っていたので、ベトナム出征前のニックを演じているときのふっくら感に驚いた。そして、料理上手のジョン(ジョージ・ズンザ)が調理場で嗚咽を漏らしたあとハミングで“ゴッド・ブレス・アメリカ”を歌い始める場面が沁みてきた。



推薦テクスト: 「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/archives/278
by ヤマ

'11. 9.25. TOHOシネマズ3



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