『美女と野獣』(La Belle Et La Bete)
監督 クリストフ・ガンズ


 素晴らしい。思いのほか充実した画面が実に美しかった。もはや『ビューティ&ビースト』には、流麗な画面構成と美しい英語、歌声のディズニー版アニメーションを超える作品はあるまいと思っていたが、アメリカン・ディズニーでは絶対に出せないと思われる“フランスらしい大人の香り”を漂わせて、豊潤で深みのある実写版にて、かの名作と比肩するような映画になっていて驚いた。

 ならず者のペルデュカス(エドゥアルド・ノリエガ)たちが狙った財宝のみならず、ベル(レア・セドゥ)の父(アンドレ・デュソリエ)が人生の浮沈を舐めていた通商も含めて、既にある財貨の取引や争奪ゲームに勝つことなんぞに幸いはなく、花であれ、子供であれ、物語であれ、美しきものを生み出し育む暮らしにこそ、日々の幸せはあるという普遍不滅の真理をファンタジックに描き出していたように思う。オープニングから終始、本作が絵本で語り継がれている物語であることを強調していた作品構成の意図するところは、エンディングの花畑と合わせて、そこのところにあったような気がする。

 畢竟、ベルの供えていた美しさとは、虚飾も怖気も敢然と撥ね退け、茨で全身傷だらけになりながらも真っ直ぐに突き進む気丈というものだったように思う。姉たちの囚われていた虚飾に塗れた贅沢な有閑暮らしよりも、田舎での農作業に従事する暮らしを好んでいたベルは、父親の窃盗や兄マキシム(ニコラス・ゴブ)の不始末が招いた窮地に際して、父や兄たちの見せていた怖気とは正反対の強い意志や、愛する者への感謝と想いを発揮していたわけだが、それこそが彼女の美の源泉であるということなのだろう。レア・セドゥは、しばしば大写しになっていた豊かな唇がスカーレット・ヨハンソン並みに官能的だったように思う。

 それにしても華麗な画面だった。絵本と実写が交錯するオープニングから、豪奢な暮らし、廃城の佇まい、森の息遣い、色彩設計も衣装も非常に丁寧に作られていて、観惚れていた。森の神に『もののけ姫』を思い、怒れる巨人の姿とベルへの寸止めに僕の好きな大魔神を思い、何だか嬉しくなった。一方、犬の化け物のようなタドゥムは、何だか余計な感じだった。

 俳優では、ベルを演じていたレア・セドゥもよかったけれど、それ以上に森の精のプリンセスを演じたイボンヌ・カッターフェルトが印象深かった。哀しいプリンセスの全裸姿の登場など、ディズニー作品では起こり得ないことのように思うが、父なる森の神に向かって、「愛というものを知りたかった自分を永遠の愛で満たしてくれた」と夫への赦しを最期に願う姿の美しさは、ベルの見せていた気丈の美とはまた少し異なるビューティの極みだったように思う。ヴァンサン・カッセルは、仏映画で配役するなら彼以外は考えにくい嵌まり役だ。アストリッドを演じたミリアム・シャルランは、どこか名取裕子のようだった。

 単純に真善美を謳い上げるのではない趣を勧善懲悪を排した風情に湛えつつ、活き活きとしたドラマに仕立てあげていて、思いのほか大した作品だったように思う。




参照テクスト
ディズニー版の実写映画『美女と野獣』(Beauty And The Beast)['17]拙日誌
http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/2017/15.htm
by ヤマ

'14.11. 1. TOHOシネマズ8



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