| ||||||||||
東京国立近代美術館フィルムセンター優秀映画鑑賞推進事業Kプログラム
| ||||||||||
劇場と文化庁、東京国立近代美術館フィルムセンターの共催で行っている優秀映画鑑賞推進事業のKプログラム4本を一気に観てきた。12:00から21:30までの長丁場9時間半は流石に堪えたが、なかなか観応えがあった。 日本映画の最盛期と言われる昭和30年代の大手4社の文芸大作映画が並んだプログラムは壮観で、何と言っても主演女優4人の競演が目を惹いたように思う。大映の澤野久雄原作『夜の河』(S31)の山本富士子25歳、東宝の川端康成原作『雪国』(S32)の岸恵子25歳、東映の水上勉原作『五番町夕霧楼』(S38)の佐久間良子24歳、松竹の山本周五郎原作『五瓣の椿』(S39)の岩下志麻23歳。すっかり観惚れてしまった。 闇の仕置きのような時代劇の『五瓣の椿』を除き、いずれも倫ならぬ恋に身を焦がす女性が描かれ、揃いも揃って艶技場面がエロくて、綺麗でめんどくさい昭和の女性の哀しみを現代の女優にはとても演じられないであろう趣で醸し出していて、大いに感じ入った。4作品とも主演女優は二十代なのだが、今の人にはない大人の風格が感じられる。この違いは、どこから来ているのかと思うと、やはり十代の過ごし方なのだろう。 4人とも素敵だったけれども、なかでも目を惹いたのは『雪国』の駒子を演じた岸恵子で、ある意味、健気とも言える駒子を演じつつ、科の作り方といい、喋り方、視線の遣り方といい、こういうのを魔性というのだろうと思わないではいられなかった。八千草薫の演じていた葉子の持つ“邪気に無自覚なるが故の女の恐さ”を含め、これは未読の原作を読まなくてはという気にさせられた。 また『五番町夕霧楼』の佐久間良子は、素朴な田舎娘から腹に一物ある娼妓へと変貌した顔のいずれをも見事に演じ分けていて、とりわけ水揚げした女道楽の旦那(千秋実)が惚れ込んだ珍重ものとの身体をくじられ、身悶えしている表情に、すっかり魅了された。市川崑監督の『炎上』['58]に描かれた学僧(市川雷蔵)とは随分と印象の異なる櫟田正順(河原崎長一郎)だったが、これは原作の違いによるところが大きいように思った。 山本富士子は『夜の河』出演当時25歳くらいで29歳の役どころを演じたようだが、29歳とは思えぬ落ち着きと貫録を漂わせていて恐れ入った。阪大医学部教授の竹村(上原謙)の妻子持ちゆえに煮え切らない鷹揚さに対し、果敢に迫る主体的な自己決定力のなかに、ある種の潔さと艶っぽさを併存させていて唸らされた。同時にそれは、病妻の没後に、その死を待っていたかのような竹村からの求婚を拒んでしまう潔癖に潜む独り善がりとも裏腹のものであることを窺わせていた視座は、なかなか鋭く、大いに感心させられた。映画の序盤と終盤がメーデーの話になっている構成に'50年代を感じさせる作品でもあったように思う。 亡母その(左幸子)を狂わせ亡父むさし屋喜兵衛(加藤嘉)を苦しめた男たちへの復讐に、若い身空で決然と挑む娘しのを演じた『五瓣の椿』の岩下志麻は、その持ち味である意志の強さを美しく毅然と放つなかで折々に偲ばせる情感の見せ方が見事で、既に貫録さえあったように思う。二部構成の第一部は、余りにも芝居がかった運びで少々倦んだのだが、男たちのろくでもなさが深掘りされていくにつれ、観応えが増していったような気がする。 ただ音楽は、いずれもあまり感心しなかった。『夜の河』(池野成)は、全然作品と合ってなくてノイジーだったように思うし、『雪国』(団伊玖磨)は、情緒過多でものものしく、『五番町夕霧楼』(佐藤勝)と『五瓣の椿』(芥川也寸志)は、えらく似たような曲だったような気がした。 それにしても、出てくる男たちのキャラクターが揃いも揃って情けなくて、遣り切れない気もした。だが、当時は実際これで通用していたのだろうし、そんなものだったのだろう。特にひどいという描かれ方ではなく、それが普通といったもののような描き方だった気がする。 病妻の死期が迫っていることを仄めかし「もう少しだから…」などと舟木きわ(山本富士子)に言ってしまう『夜の河』の竹村教授にしても、二・二六事件と思しき非常事態によるものとはいえ「必ず」と交わした約束を反故にしながらも「自身のない責任を負うほどの無責任はない」などと説諭したりする、いつも悠然と構えたダンディを気取ったインテリ日本画家である『雪国』の島村(池辺良)にしても、遊郭の娼妓を芯から慰み物にしか思っていないくせに嫉妬心を義心に糊塗して清順を窮地に追いやって夕子(佐久間良子)との仲を裂く『五番町夕霧楼』のけち臭い竹末(千秋実)にしても、女性を色や金といった欲望の対象としか見ていない『五瓣の椿』で闇の仕置きをされていた五瓣の男たち、三味線引き蝶太夫(田村高広)、悪徳強欲婦人科医の海野得石(伊藤雄之助)、札差屋の伜の香屋清一(小沢昭一)、芝居茶屋の出方の佐吉(西村晃)、袋問屋丸梅の主人(岡田英次)にしても、愚かさは浮き彫りにされていたものの、悪の権化のような敵役では決してなかった気がする。海野得石と香屋清一は、いささか度が過ぎていたようには思うけれども…。 | ||||||||||
by ヤマ '14.11. 2. あたご劇場 | ||||||||||
ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―
|