『クィーン』(The Queen)
監督 スティーヴン・フリアーズ


 エリザベス女王(ヘレン・ミレン)が、二ヶ月後に「あの一週間は私には未だに理解できない。」とブレア首相(マイケル・シーン)に語っているシーンがあったが、遠く離れた日本に住む僕にも、当時いささか理解できないダイアナ追悼コールの熱狂ぶりだと思った記憶がある。

 この作品でも少し言及されていたように、どう見ても、“パパラッチに大金を払っていた編集者”などのマスコミが死に追い遣ったと思うのだが、マスコミメディアはその矛先を王室のほうに逸らしつつ、原因追及をはぐらかすようにして追悼モードを煽り立てていたような気がしてならない。

 もっとも世界中がそれに呼応するのだから、もちろんダイアナ妃のカリスマ性というのは相当なものだったのだろうが、そういう意味では、チャールズが「ダイアナは決して表では裏の顔を見せないよ。」と語っていた裏の部分というものを観てみたい気もする。それというのも、ヘレン・ミレンの演じていたエリザベス女王の穏やかな威厳というものが堂々たる説得力を備えていたからだ。その姿が実像なのか美化なのかは知る由もないのだが、王室の女性としての生き方に対する考え方や価値観の差異ということでは済まない対立をエリザベスに促したダイアナの姿というのもあったのかもしれないと思わされた。

 それにしても、イギリスというのは、王室にしても首相家にしても女性上位が実に顕著だったところに妙に感心させられた。男たちは、エジンバラ公フィリップ殿下(ジェームズ・クロムウェル)にしても、チャールズ皇太子(アレックス・ジェニングス)にしても、そのぼんくらぶりがソフトながらも率直に描かれていたし、ブレア家でも、家庭内では婦唱夫随ぶりが窺えるように描かれていた気がする。それでも、女王は湖畔のハイキングに出れば、一家の食事の用意をしていたり、ブレア夫人(ヘレン・マックロリー)もエプロン主婦をしていたりする。だから、そういうこととは別なところがなかなかいいと思ったが、それ以上に日本のドラマでは得難いようなハイソ家庭への親しみやすさが込められていたことに驚いた。これが実際の姿だとしたら、けっこう大したことだと思う。

 そして印象深かったのが、国民の意向に添う形に王室のダイアナへの対応を変更するよう求めたブレアの進言を取り入れたことについて報じた新聞の見出しが“若きブレア首相に屈したエリザベス女王”といった屈辱的な扇情に乗ったものになっているのを一瞥した女王の姿だった。屈辱よりも哀しみのほうをより強く宿らせていたように思う。この場面が効いていて、二ヶ月後のブレアと女王の対面時におけるブレアの言葉が生きてくるわけだ。このときの王室対応の一事こそがその後のブレア政権の長期継続を可能にさせた面があるのではないかという気がした。それにしても、女王の威厳と新聞見出しの品のなさの対照に、いずこにおいても嘆かわしい商業マスコミの低俗ぶりには違いがないと改めて思う。昨今は、政治家なんぞよりもずっとタチが悪いのがマスコミ権力だという気がしてきているから、尚のことだ。

 また、思いのほか派手に当時のニュースフィルムや写真を使っていたことにも驚かされた。版権処理にはさぞや大変な手間が掛かっているのだろう。登場人物のそっくり感も含め、とても丁寧なスタッフワークによってできあがった作品だという気がする。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0704_3.html#queen
推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20070510
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dfn2005/Review/2007/kn2007_05.htm#01
by ヤマ

'07. 5.10. TOHOシネマズ1



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