『はじまりのみち』
監督 原恵一

 作り手の映画への思いの丈と木下惠介監督へのリスペクトが、病弱の母を疎開させるためにリヤカーに乗せて山越えをするワンエピソードと、数々の木下作品からセレクトされた15作品の取り出しによって、シンプルに且つ力強く迫ってくる。この思い切った構成は只者ではないと思った。

 監督作が49本あるらしい映画作品のなかで、原監督がとりわけ敬意を払っているのは、戦時中に製作されて軍部の検閲官の不興を買ったとの『陸軍』['44]なのだろう。時代の“空気を読む”などということとは真逆の誠実な映画作りに対する、作り手の敬服がひしひしと伝わってきた。

 僕が『陸軍』を観たのは十五年近く前になるが、高評価を付しながらも映画日誌は綴っていない。本作に取り上げられた15作品のなかでコンテンツをサイトアップしているのは、楢山節考['58]と喜びも悲しみも幾歳月['57]の二つしかない。『永遠の人』['61]は、日誌にしようと思いつつ、流してしまっているが、昭和七年の陵辱婚から始まる三十年に渡る因縁の愛憎劇の情念の濃さに唖然とした覚えがある。罪と罰と赦しについての神話的象徴性と劇性とを湛えた、夫婦親子の因業めいた葛藤の物語が凄まじく、「柔の木下、剛の黒澤」と並び賞されたとの女性的な細やかな情の世界とは掛け離れていたことに衝撃を受けたものだった。傷痍兵の地主平兵衛さだ子夫妻を演じた仲代達矢と高峰秀子の非常に濃密な演技対決に圧倒され、昭和七年、十九年、二十四年、三十五年、三十六年の5つの章における夫婦関係の変遷のなかで、さだ子が苦しむ側から苦しめる側に替わっていくところに迫真性があって、詫びと赦しの持つ意味についても感じ入るものがあった。

 本作では、名も訊かぬままに別れたカレーライス好きの便利屋(濱田岳)が頑固な意地っ張りの雇い主を当の監督と知らぬままに、スポンサーたる陸軍から駄目出しをされた『陸軍』のラストシーンに言及して「泣けて泣けて仕方なかった。ああいう映画こそ俺は観たいんだ」と語る姿に木下惠介(加瀬亮)が涙し、脳溢血の後遺症で言葉を口にするのも不自由な母たま(田中裕子)が息子の名前である正吉と呼ばずに「木下惠介監督の映画が観たい」と言う言葉に黙って頷く場面がいい。映画というものが誰のためにあり、映画作りを支えるのは誰なのか。そのことに対する木下監督の思いが描かれていたわけだが、観客の支持と家族の理解だというのは、作り手の率直な思いでもあるのだろう。原監督も“誇りに思う”と母親から言われたことがあるのかもしれない。

 ワンエピソードのなかに数々の木下作品から引用した場面を設けてあることが後から開陳される構成が楽しく、戦争が損ない奪うのは人の命や財産などの目に見えるものだけではないことが痛烈に描かれていることに感心した。そして、映画監督としての再起の“はじまりのみち”が残したものを後年の作品のなかに追い、初期の『陸軍』の田中絹代と最晩年作の『新・喜びも悲しみも幾歳月』の大原麗子に対照させていたのが、なかなか鮮やかだった。誰もが無理だと言ったリヤカーでの山越えの如く、木下惠介の初志は貫徹されているというわけだ。この映画を観ると、木下作品をきちんと観直したい気になってくる。

 ただ、主題を母子物語のように受け取って観てしまうと、少々物足りないかもしれない。『はじまりのみち』というタイトルの“はじまり”とは、何の始まりなのかがポイントで、映画監督木下惠介の再生の始まりに他ならない。それを例えば、戦況悪化による“疎開の始まり”だとか“親孝行の始まり”などと受け取られてしまうと、実に勿体ない観方になる気がするが、そういう意味では、昔からの映画愛好者のための作品のように映らなくもないとも思った。

 それはそうと、弟の木下忠司のことが出てこなかったのは、何故なのだろう。出征中ということだったのだろうか。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/13061601/
by ヤマ

'13. 6.23. TOHOシネマズ8



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