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“発掘 木村荘十二監督戦後作品”上映会
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ムービージャンキーを主宰する西川さんが高知県視聴覚ライブラリーに埋もれている文化映画・教育映画を掘り出してきて、公的施設や新聞社の会議室などの会場提供を受けてやっている無料上映会のなかでも、今回の二本立ては、特に興味をそそられる好企画だった。 『末っ子大将』は、大阪母親プロ委員会の企画による作品で、同年『暴れん坊大将』と改題されて新東宝が配給した作品らしい。文化映画・教育映画の枠を超え、一般映画として劇場公開できる堂々たる作品だと思った。 昭和17年生まれの小学6年生の男の子が授業参観日に朗読している作文が映像で綴られる。貧しい漁師の家の七人兄妹の末っ子に生まれ、三人の兄のうち二人が戦死し、戦後まで生き延びた兄が漁で遭難し、姉たちも若くして働きに出、ただ一人の男の子となった厳しい境遇に負けまいと暴れん坊的強がりを発揮しながらも、懐深い教育環境に守られて生きている姿が描かれる。 彼の読む作文に書かれた母への感謝と「勉強して偉くなって母ちゃんに楽をさせる」との決意は、そのまま丸山明宏のヨイトマケの唄そのもので、なかなか感動的だ。今の教育現場にモリタ先生や同級生のキヨミの見せた受容力はあるだろうか。 早朝の地引網に出ていて参観授業に遅れてきたと思しき母(望月優子)が息子の作文に堪え切れず嗚咽を漏らしていた、終盤の場面が胸を打つ。 続けて観た『洪庵と一,〇〇〇人の若ものたち』は、『末っ子大将』ほどではなかったものの洪庵に嫁いだ17歳の若妻を市原悦子が演じていることにインパクトがあり、25年の結婚生活を経てもろくに変化しているようには見えないところが可笑しかった。 洪庵の適々斎塾は、吉田松陰の松下村塾ほどには有名ではないが、かつて高校で学んだ日本史のなかで福沢諭吉を輩出した蘭学塾として覚えている。没後100年が'63年だから、明治維新の5年前に死んだわけだが、当時、学問はそれ自体が目的であって、手段として考える際には、ひとえに救世、救済といったパブリックに貢献する“特権性”が前提になるものとして描かれていたように思う。 即ちそれは百年後の'63年当時にも共有されていた学問観ではなかろうか。今やそれがすっかり失われていることに気づかされ、妙に新鮮だった。 洪庵(南原宏治)の塾の支援者である大和屋喜兵衛(稲葉義男)の言う「がめつう稼いで綺麗に使う、それが大阪商人の性根ですねん」との台詞も、今や強欲資本主義の前に掻き消されてしまったかのような過去の遺物に思えるのが残念だ。宝石で飾り立てた衣装をペットに着せて見せびらかす使い方なぞ、大和屋喜兵衛には、さぞかしえげつないものに映るだろうなどと思った。 | ||||||
by ヤマ '13. 6.18. 高知県人権啓発センターNPO会議室 | ||||||
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