『風立ちぬ』
監督 宮崎駿

 実話に材を得ているとはとても思えぬ御伽噺のような美しさだった。何十回も出てきたように思える「美しい」という台詞にもかかわらず興醒めしてこないことに対して最も感銘を受けるという、何だか不思議な感覚を味わった。

 僕の好きな緑色がふんだんに使われるのも嬉しく、堀越二郎(声:庵野秀明)が草丘でカプローニ(声:野村萬斎)に「風が立ってきた」と語る台詞にゾクリと来た。ポール・ヴァレリーの詩句を堀辰雄が「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳し書名としたエッセンスをこう使ってくるのかと唸らされたのだった。

 最も惹かれた場面は、二郎が菜穂子(声:瀧本美織)に求められて、寝床の彼女の手を握ったまま、持ち帰った仕事に耽りながら「片手で計算尺を使うのは日本で一番上手くなったかも」と軽口を零したところで、そこに醸し出されていた睦まじさが、妙に懐かしくも好もしかった。

 帰宅後、書棚にある堀辰雄の『風立ちぬ』を四十年ぶりに読み返してみた。節子が菜穂子に変わっていたが、帽子も、青いブラウスも出てくる。最も気に入った手を握る場面もあって、ちょっと痺れた。

>「何だか寝られそうもないわ。」二三分すると彼女がベッドの中で独り言のように言った。「じゃ、明かりを消してやろうか?……おれはもういいのだ。」そう言いながら、私は明りを消して立ち上がると、彼女の枕もとに近づいた。そうしてベッドの縁に腰をかけながら、彼女の手を取った。私たちはしばらくそうしたまま、闇の中に黙り合っていた。 (中略) 彼女はいつまでも私の手をはなさないでいた。そうして目をつぶったまま、自分の裡に何かの作用[はたらき]に一心になろうとしているように見えた。そのうちにその手が少し緩んできた。彼女は寝入ったふりをしだしたらしかった。(旺文社文庫特製版P74)

 文庫の巻末の付録を読むと、節子から菜穂子に名前を変えてある理由も判った。高原のサナトリウムから無断で脱出して帰京する『菜穂子』のエピソードが援用されていたからなのだろう。黒川という名前の人物が登場するのも『菜穂子』ゆえのようだ。

 映画のなかに、ものづくりに熱中する者たちへの共感と畏敬が込められていて、人生のなかで大切な“ひと・こと・もの”に巡り合えた者の喜びと幸いを噛みしめている風情があって、好もしかった。やはり宮崎駿は侮れない。説教臭さが抜けて、原点回帰を確実に果たしているうえに、若い頃には決して示せなかったはずの境地が窺え、流石だと思った。

 また、本編ではエンドロールでしか流れなかったが、予告編でフルコーラスを聴かせていた荒井由実の『ひこうき雲』が抜群に利いていて、往年の名曲だと知らない人は、間違いなく本作の主題歌として書かれた曲だと思うはずだ。堀越二郎の空への憧れと堀辰雄の描いた薄命の二つをまさしく結びつけていて、本編以上に圧倒的な予告編だった。エンドロールで担当者としてクレジットされた人物の名をきちんと確認しながらも、失念してしまったのが大いに悔やまれる。


['13. 7.21.追記]
 ネット時代の賜物だ。予告編の担当者名を超兄貴ざんすさんから教えてもらった。
 >予告編は、板垣恵一とありました。
 >おそらく、この方でしょう。
 >http://www.youtube.com/watch?v=6Lf-NI05t8E







参照テクスト:掲示板『間借り人の部屋に、ようこそ』過去ログ編集採録


推薦テクスト:「北京波さんmixi」より
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推薦テクスト:「超兄貴ざんすさんmixi」より
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推薦テクスト:「なんきんさんmixi」より
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by ヤマ

'13. 7. 4. TOHOシネマズ7



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