『勝敗』['54]
監督 佐伯幸三

 連休明けからの4日間、高知市と日高村の3会場にわたって開催される“円尾敏郎フィルムコレクション高知上映と解説”の初日の本作は、上映者の円尾氏によると、非常に観賞機会の乏しい貴重な作品とのことだった。

 『勝敗』は、柔道有段者の人気スター菅原謙二のために敢えて設えたと思われる物語が些か陳腐で、芦ノ湖での相良順一(菅原謙二)と杉恵子(若尾文子)の擦れ違いや置手紙を言付けた順一の失踪場面の演出にも少々安っぽさが拭えなかったが、当時、二十歳を過ぎたばかりの若尾文子と三十歳前の菅原謙二の若々しさが魅力だった。また、四十歳過ぎの北林谷栄の演じる祖母が流石の老けぶりで圧巻だったように思う。

 僕の記憶にある菅原謙二の代表的イメージは、竹脇無我が姿三四郎を演じ、進藤英太郎が和尚だったテレビドラマでの矢野正五郎で、若い頃の彼の姿にはほとんど接した記憶がなく、本作と同じ若尾文子との共演による青空娘['57]くらいだという気がする。その増村保造監督の『青空娘』での若尾文子は、苦境の歪みや汚れを自ずと弾き返して寄せつけない、颯爽とした健康的な美しさが実に眩しく、本作を遥かに上回る魅力を放っていたような気がする。


 思わぬ拾いもので、本作以上に興味深かったのが、併映された教育映画だった。『村にもテレビ』と題された新理研映画による制作作品で、監督名も満足にクレジットされなかったのだが、実に生き生きと当時の人々の顔と風物を映し出しユーモアもあって、大いに魅了された。

 村に1台もなかったテレビの共同購入による村人の教化と活性化を企てた住職の話で、劇映画ともドキュメンタリーとも人権啓発映画とも異なる風情が妙に新鮮で、今やジャンルとして無くなっている感のある映画のように思った。一体いつの頃の作品なのか大いに気になったが、幼心に覚えのあるNHK番組の『ジェスチャー』での柳家金語楼が映り、川上哲治のホームランやアイゼンハワー米大統領の専用機による外遊が報じられていたから、'60年前あたりのちょうどALWAYS 三丁目の夕日頃の農村だったような気がする。『ALWAYS 三丁目の夕日』では、集団就職で上京した星野六子(堀北真希)の郷里が描かれることはなく、半世紀前の東京がノスタルジックに描かれてばかりいたわけだが、そこに映し出された昭和三十年代どころか、『勝敗』に描かれていた昭和二十年代の東京と比べても、都会と地方の格差は、いま以上だったことが『村にもテレビ』から如実に窺えた。

 共同購入で寺に置いたテレビの功罪と利活用のあり方についての教育が主題だったように思う。野球、相撲、講談、歌謡ショーと当時のテレビの定番娯楽に村人の多くが心と時間を奪われ始め、生活リズムが狂い、問題状況となりだしたときの対処の仕方が示されていた。その解決方法が衆知を集める委員会方式によるルール作りだったりするところが、いかにも戦後民主教育の姿を表わしているように感じられて、なかなか興味深かった。ちょうどこの時期に生まれた僕の生年である昭和三十三年は、GHQによって学校教科から駆逐された「修身」が姿を変えて復活したとも言われた「道徳教育」が学習指導要領に明記された年だと、大学時分に履修した教職課程の単元「道徳教育研究」で習った覚えがある。そのような当時の状況からすると『村にもテレビ』の映画製作のスポンサーは、一体どこだったのだろう。

 円尾氏が「テレビ業界かもしれないと感じた」と言っていたのは、おそらくテレビという新メディアの功罪と利活用のあり方を説いていた点に着目したからなのだろう。だが、僕は民主教育の推進を図りたいとの立場の教育界ではなかったかという気がしている。いずれにせよ、思いのほか、しっかりした作品づくりがされてもいて、驚いた。

by ヤマ

'13. 5. 8. 朝日新聞高知総局3F会議室



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