『かぞくのくに』
監督 ヤン・ヨンヒ


 16歳のときに北朝鮮に送られ、25年ぶりに来日したのが'97年なら、ソンホ(井浦新)は'56年生まれで、僕の2歳上になる勘定だ。ほぼ同世代だと言っていい。15年前になる'97年は、僕はまだ39歳で、個人的には最早ずいぶんと遠い日のことに感じるようになっているのだが、ヤン・ヨンヒにとっては、今だからこそ語れるようになった昨日のことのような出来事なのだろう。脳腫瘍ということだったから既に他界しているのだろうが、おそらく死に目には会えてないように思う。「ホントよくあるんだよ、こんなことは」と呟くソンホの口調の静けさに、実に深い諦観が宿っていて、とても印象的だった。リエ(安藤サクラ)がヤン同志(ヤン・イクチュン)に向かって投げつけていたオッパに言わせないで、わたしに直接言いなさいよ! あなたもあの国も大っ嫌い!という言葉は、当時ヤン・ヨンヒが言いたくて言えなかったものに違いない。

 予定を繰り上げて急きょ帰国を命じた側からすれば、なかなか認められなかった許可が下りて訪日が叶い、家族や旧友たちと会えただけでも感謝すべきはずのことだとさえ考えないくらい、おそらくは何らの歯牙にも掛けていないことなのだろう。もともと組織の論理というものは、個人に対しての想像力をいちいち働かせはしないとしたものだ。

 それにしても、生き延びるために“言葉と物語”を必要としたライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』のパイとは対照的に、生き延びるためには“思考停止”を必要とするのでは、大海での孤独な漂流以上に、「ヒトとして生きる」のに過酷な“くに”と言うほかない。さればこそ、思考停止を強いられてはいないのに、思考停止に陥っているとしか思えない生き方をしている人は、自ら「ヒトとして生きる」ことを放棄していることになるんだぞ、と迫られているような気がした。

 朝鮮総連幹部であるアボジ(津嘉山正種)との再会は、必ずしも25年ぶりではなかったのかもしれないが、「あなたはいつもそういうことしか言いませんね」と息子から詰められていた彼の苦衷における悔恨の程は、一体どのくらいのものだったのだろう。高知では上映されていないドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』['05]を是非とも観てみたいものだと思った。

 そんななかで、オモニを演じていた宮崎美子に妙に違和感があって、浮いて見えて仕方がなかったのが残念だった。演技のせいではなく、単純にミスキャストなんだろうと思う。とても重要な役回りだっただけに余計に惜しい。



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参照テクストBS1スペシャル「北朝鮮への“帰国事業”」
 BS1スペシャル デジタル・アイ「北朝鮮 独裁国家の隠された“リアル”」
by ヤマ

'13. 2.22. 美術館ホール



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