『キャプテン・フィリップス』(Captain Phillips)
監督 ポール・グリーングラス


 全く食指が動いていなかったのだが、観逃すには惜しい作品だよと薦められ、足を運んだ。乗り物に弱い僕には些か厳しい作品で、船酔いもどきの気持ちの悪さに見舞われ、物語的にも遣り切れなさの残る結構しんどい映画だったが、敢えて単純な娯楽性を排し、実話に基づく物語を誠実に描き出そうとしていることに感心した。

 観終えて確認したら、七年前のユナイテッド93と同じ監督作品だった。道理で、単純なアメリカン・タフネスの誇示にはならないわけだと大いに納得した。

 アフリカの難民救済のための食糧をも運んでいる輸送船を当のアフリカ人民が、しょぼいとはいえ武装によって海賊行為を行っている矛盾に加え、彼らの上前を撥ねている直接の当事者が先進国アメリカではなく、彼らのボスたる“将軍”であり、武装してアメリカ人を脅している貧民はむしろアメリカに憧れていたりする矛盾があって、大国の巨大な輸送船であっても非武装なれば、わずか四人の武装者のちゃちなボートによる攻撃にもいとも簡単に乗っ取られてしまう割り切れなさが追い打ちをかけてくる。

 どうしてこういう事態や状況がいつまで経っても解決され得ないのか、人類の愚かしさというか嘆かわしさが、何とも言えない後味の悪さとして残る。登場人物の皆人がそれぞれの限界を負いながらも精一杯で事に当たっているのがよくわかるような描かれ方をしているので、余計に遣り切れなくなるのだろう。そして、本当は解決方法があるように思えて仕方がない気がすることも、尚更にその遣り切れなさを募らせるような気がする。

 アメリカ海軍による攻撃は、最後の最後のところでは人質救出を大義としつつも犠牲が出ても止むなしと考えていたようにしか見えない思い切りが窺え、結果的に奏功したものの、かの気丈なるフィリップス船長が返り血を浴びてすっかりパニックに陥っている悲惨さだった。トム・ハンクスは流石に名優で迫真の演技だったが、聞くところによると、フィリップス船長は、かほどの惨事に見舞われても既に海の職場に復帰しており、彼らを襲撃したアフリカ人たちに対しても、そうせざるを得ない事情が分かっているから、恨みや憎しみは抱いていないと語っているそうだ。凄いことだと思うとともに、昨今流行りの報復主義や厳罰化を求める風潮との乖離ぶりに心打たれた。

 イーストウッド監督の秀作インビクタス 負けざる者たち』['09]に描かれたネルソン・マンデラ大統領が先ごろ亡くなったばかりだが、反アパルトヘイト運動によって27年間も収監されながら、人種問題の解決には“受容と融和”が必要だと実践し白人との敵対を避けたマンデラ大統領にしても、松本サリン事件によって大変な苦境を強いられながらも卓抜した人権主義の実践者として活動している河野義行氏にしても、個々人においては傑出した人物が普遍的に存在するのに、人類の総体としては、いつまで経っても決して進歩と調和を果たし得ないのは何故なのだろう。

 チャップリンが独裁者』['40]で演説をぶった時代以上の富を生み出している現代において、かの作品で人間が貪欲と憎悪を克服すれば、侵略戦争などしなくても世界には既に世界中の人々を養うだけの富があると語っていたことの重さは、増すことはあっても決して蔑ろにされてはならないように思うのに、そうはなっていかないのが何とも嘆かわしい。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/13121602/
推薦テクスト:「Banana Fish's Room」より
http://blog.goo.ne.jp/franny0330/e/e33427ea2aad70bf5f2aa508b01688f8
by ヤマ

'13.12.16. TOHOシネマズ4



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