『ライムライト』(Limelight)['52]
『チャップリンの独裁者』(The Great Dictator)['40]
監督 チャールズ・チャップリン


 僕が高1から高2にかけての頃、確かチャップリン映画の最終上映という触れ込みで一挙リバイバル公開されたことがあって、そのときに『街の灯』『黄金狂時代』『モダンタイムス』『殺人狂時代』などと併せてスクリーン鑑賞したのだが、それ以来の再見となる作品だ。当時観た一連の長編映画のなかでは『ライムライト』に最も感銘を受けた記憶があって、確かその鑑賞を契機に映画部に入ろうかと考え始めたのだったような覚えがある。当時、僕が好意を寄せていた女の子が「私は『ライムライト』よりも『独裁者』かな」と言っていたのだが、今回のTOHOシネマズ“午前十時の映画祭”で「チャップリンを堪能」と称して選出された作品がその二つだったことに何か奇遇を感じて観に行った。


 先に観た『ライムライト』では、三十数年ぶりに再見して、さすがに感動の程は十代の時には及ばないものの、テリー(クレア・ブルーム)がネヴィル(シドニー・チャップリン)の弾くピアノで名曲“テリーのテーマ”を踊る場面には、ぐっと来た。
 バレリーナなのに、足が不自由になって自殺を試み、生きる気力を失っていたテリーに心惹かれ、彼女を励まし力づけるために懸命に自身の言葉を発することで、老いて落ちぶれ生命力を失いつつあったカルヴェロ(チャールズ・チャップリン)自身が生きる力を得ていく過程が美しい。
 彼の励ましと支えによってダンサーとしての再起を果たし成功への道を歩み始めたテリーの心を慮って、彼女の元から立ち去り、姿を消す前に生きることは素晴しい。大事なのは、勇気と想像力、そして少々の誇りだ。というようなことを語っていたが、字幕で“誇り”と訳されていた“dignity”という言葉は、二十年近く前にボンデージ(ケン・ラッセル監督)を観て以来、僕のお気に入りの言葉なので、妙に嬉しかった。失意のテリーと出会った頃の励ましの言葉では“money”だったものが“dignity”に変わっていたことが即ち、テリーに向けた言葉によって彼自身が変わったことの証左になっていたように思う。

 芸が時代遅れになって劇場を追われた往年の喜劇王カルヴェロが、自身を恩人以上の愛する人として慕ってくれるテリーの前から去り、大道芸人になってでも、失われた芸の場を自身の手で取り戻し、かつての名声を知る者の前でも、脱いだ帽子に心付を求めることに些かも臆することがないのは、彼がテリーに残した自身の言葉をまさしく全うしようとしていたからなのだろう。即ちそれは、酒浸りだったカルヴェロが彼女の再起に向けた励ましを行なうなかで、彼自身が失っていた生命力というものを取り戻し得たということだ。
 ネヴィルから聞いてロンドン中を探したらしいテリーがカルヴェロを見つけ出して、呼び戻してくれたステージが最後の舞台になる予感は、ある種の覚悟とともに彼のなかにはあったのだろう。温めていたとっておきのネタがあると言っていたアンコールの出し物が、老体には如何にも危険なパフォーマンスだったのは、そういうことのような気がした。

 みんなが親切な声を掛けてくれればくれるほど、孤独を感じる。きみの言葉さえ。とテリーに零していたカルヴェロの言葉が沁みてきたのは、その出し物の相方に連れてきた老芸人(バスター・キートン)の言っていた「こんど“昔の楽屋のままだ”などと言う奴が来たら、もう止めてやる」という台詞が効いていたからだと思う。
 それにしても、このアンコールの出し物でのチャップリンの身のこなしは見事だった。還暦を過ぎているとは到底思えない膝の柔らかさには、本当に驚いた。これは、十代の時分には絶対に感じ取れなかったことに間違いない。


 翌々日に観た『チャップリンの独裁者』は、何と言っても1940年当時の作品に、かの最後の演説シーンがあることが、映画史上に残る作品たらしめているのだろう。
 単にナチスドイツを非難する演説ではなくて、人間が貪欲と憎悪を克服すれば、侵略戦争などしなくても世界には既に世界中の人々を養うだけの富があると訴え、どういう政治家を支持し、どういう政府を望むべきかを、聴衆たる観客に向けて主張していて、古今東西の政治権力が大衆操作を企て求心力を求める際に必ず持ち出す“愛国精神の称揚”など、一切排除しているところが、今なお鮮度を失っておらず素晴しい。'40年作品だから参戦前のアメリカ映画であるにしても、たいした見識だと改めて思った。もっとも、だからこそ戦後ハリウッドにも吹き荒れたマッカーシズムのなかで、赤狩りによってアメリカを追われることになったのだろう。

 かの演説場面の存在を承知することなく観たときに受けた感動は、さすがにそのままに再現されることはなかったのだが、逆に、高校時分に観たときには最後の演説シーンのインパクトが強すぎて他が飛んでしまっていたことと比べ、今回再見して印象深く思えたことが幾つもあったのが、収穫だった。
 例えば、オープニングに登場した第一次大戦の戦場に張り巡らせた塹壕の俯瞰場面や敵機襲来に対してチャップリンが乗り込む高射砲の装置の見事さ、ブラームスのハンガリー舞曲に合わせての髭剃り場面の練達、ムッソリーニとヒトラーの張り合いを茶化した場面の可笑しさ、人において“心理”の及ぼすものの重要さへの慧眼。そういったところに、つくづく感心させられた。
 それにしても、五十歳過ぎと言えば、ちょうど今の僕の歳の頃に撮った作品になるわけだが、さすが映画史上最大の巨人の一人だけのことはある。たいしたものだ。


*『ライムライト』
推薦テクスト:「映画ありき」より
https://yurikoariki.web.fc2.com/limelight.html
by ヤマ

'10. 6.18. TOHOシネマズ8
'10. 6.20. TOHOシネマズ8



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