『ヘルタースケルター』
監督 蜷川実花


 五年前に観たさくらんは「咲くらん」ではなく「錯乱」した作品でサッパリだったが、「しっちゃかめっちゃか」を意味するタイトルの本作には大いに魅せられた。127分は長過ぎて少々倦んだところもあったけれど、りりこ(沢尻エリカ)が一言も話さずに流す血の涙の鮮烈な凄みにすっかりやられてしまった。クローズド・ノート以来のこれまた五年ぶりのスクリーン復帰となる沢尻エリカは、やはり流石というほかない。かつての生き生きとした表情の魅力を削ぎ落とし、作り物の表情ばかり漂わせる彼女は「もとのままのもんは目ん玉と爪と耳とアソコくらい。あとは全部つくりもん」というスターそのものだったような気がする。

 加えて、芸能界に君臨する姿や恋人の風情が、メディアを通じて面白おかしく伝えられたエリカ嬢の姿とイメージに過剰なまでに重ね合わせられていて、圧巻の悪趣味ぶりで恐れ入った。岡崎京子の原作漫画でもそのとおりなのだろうか。だとしたら、原作のほうが実在の沢尻エリカをモデルにし、それを原作にして彼女自身が演じているという円環作品になるのだが、原作漫画を未読なので、そのあたりはよく判らなかった。麻田検事(大森南朋)の発する能書きが少々漫画的だったが、なにせ原作が漫画なのだからやむない。実写作品ながら、美術的には漫画世界のほうを意識していたような気がする。

 ともあれ、十四年前に観たPERFECT BLUEを彷彿させる作品で、同じように“現代日本の日常に潜む人間疎外と狂気”を痛烈に描き出していたように思う。そして、無自覚なる悪意を底に湛えた大衆の姿が照射されている点でも両作は通じているような気がした。ゴキブリの群がりを想起させる不愉快極まりないシャッター音の効いていた記者会見場面がハイライトシーンだったように思うゆえんだ。

 進化しているのは、やはり『PERFECT BLUE』のヒロイン霧越未麻には、被害者であり犠牲者である側面が強かったけれども、本作ではそうとばかりも言えない人物造形が明確だった点にあるように思う。これは恐らく原作自体からして、そうなのだろう。原作(岡崎京子)・脚本(金子ありさ)・監督(蜷川実花)・主演(沢尻エリカ)どころか、りりこからママと呼ばれる事務所の社長(桃井かおり)、マネージャー(寺島しのぶ)、整形外科医(原田美枝子)に至るまで“りりこプロジェクト”のほぼ総てが女性の手によって造形されていたことが大きく作用しているような気がした。『PERFECT BLUE』のほうは、原作(竹内義和)・脚本(村井さだゆき)・監督(今敏)ともに男性だが、女性ばかりで固めた本作には、そういう男の欲望による被害者であり犠牲者であるという視座は意識的に排除されていたような気がする。気ままに吉川こずえ(水原希子)のほうに熱狂的支持を移ろわせるファンも専ら女子高生を中心とする女性ばかりである姿が強調されていた。もう女が男の犠牲になっている時代じゃないわけで、まさしくそれは『PERFECT BLUE』の時代にはまだメインストリームにはなっていなかった、本作における同時代性のなせるものだろうという気がした。



推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/12072902/
by ヤマ

'12. 7.15. TOHOシネマズ9



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